「我が社も、いよいよ海外に目を向けたい」
そんな熱い思いをお持ちの社長様や、海外事業への人材配置、管理体制の構築といったミッションを抱え、「一体、何から手を付ければ良いのだろうか…」と頭を悩ませている人事部の皆様、産業医や保健師の皆様。インターネットで「海外進出」「課題」「失敗」といったキーワードで情報を探されていることと思います。
魅力的な海外市場への挑戦は、企業の新たな成長機会を創出する夢のある話です。しかし同時に、「大企業ならともかく、うちのような中小企業に本当にできるのか?」「莫大なコストやリスクがかかるのではないか?」といった不安が、皆様の心の中で大きな壁となっているのではないでしょうか。
事実、中小企業が海外事業展開に成功するには、大企業とは異なる、中小企業ならではのハードルが存在します。そして、そのハードルを認識せずに進むことは、思わぬ落とし穴につながりかねません。
このセッションでは、まずなぜ中小企業が海外事業で「つまずきやすい」と言われるのか、その現状と、大企業との違いから生まれる特有の課題、そして看過できないリスクについて掘り下げていきます。
1-1. 大企業との違いとは?中小企業特有の海外進出のハードル
日本貿易振興機構(JETRO)などの調査を見ても、海外進出に関心を持つ中小企業は少なくありません。しかし、実際に継続的な事業として成功させている企業の割合は、大企業に比べて低いのが現状です。この差は一体どこから生まれるのでしょうか?
最も大きな違いは、やはり「リソース」です。
大企業は、豊富な資金力、国内外に多数の拠点を持ち、グローバルビジネスの経験を持つ人材も潤沢にいます。法務、経理、人事、マーケティング、サプライチェーン管理など、各分野に専門部署や担当者が存在し、組織的に海外事業をサポートする体制が整っています。不採算部門が出ても、他の部門でカバーできる体力もあります。
一方、中小企業は限られたリソースの中で戦わなければなりません。
- 資金力: 初期投資、市場調査費、人件費、予期せぬトラブルへの対応費など、海外事業にはまとまった資金が必要です。中小企業にとって、これは大きな負担となる可能性があります。
- 人材: グローバルな視点を持ち、語学力や異文化理解力があり、海外でのビジネス経験を持つ人材は、国内採用市場でも希少です。社内の限られた人員の中から、適任者を見つけ、育成し、送り出すことは容易ではありません。ましてや、海外拠点の立ち上げや運営を任せられる人材となると、そのハードルはさらに高まります。
- 情報: 現地の正確な市場情報、法規制、商慣習、競合情報などを体系的に収集・分析するネットワークやノウハウが不足しがちです。 JETROや政府機関の支援制度はありますが、それらを活用し、自社に引き寄せるにも人的リソースが必要です。
- 組織体制: 大企業のような専門部署がないため、一人の担当者や、兼務している従業員が、現地の法務、経理、人事、営業、さらにはトラブル対応まで、多岐にわたる業務をこなさなければならないことも少なくありません。意思決定プロセスも、社長やごく少数の役員に集中しがちで、迅速な状況判断や軌道修正が難しい場合があります。
これらのリソースの差が、海外事業における「事前準備の質」や「リスク発生時の対応力」に大きく影響し、中小企業ならではのハードルとなるのです。
1-2. 「なんとなく」では危険!失敗事例から学ぶ海外事業のリスク
中小企業の海外事業展開における失敗は、リソース不足に起因することも多いですが、「なんとなく」「流行っているから」といった曖昧な動機や、事前の準備不足から生じるケースも散見されます。
ここでは、中小企業が陥りやすい典型的な失敗事例とその背景にあるリスクを見てみましょう。具体的な会社名を挙げることは難しい場面が多いですが、皆様の会社でも起こりうる可能性のあるパターンとして捉えてみてください。
典型的な失敗事例とそのリスク:
- 事例①:市場調査が甘く、現地で全くニーズがなかった
- 背景: 「日本で売れているから」「あの国で流行っているらしい」といった断片的な情報や、限られたパイロットテストのみで本格進出を決めてしまう。現地の消費者の嗜好、競合製品、流通チャネルなどを深く理解せずに進出。
- リスク: 市場リスク、戦略リスク。 莫大な初期投資が無駄になり、在庫の山を抱えたり、早期撤退を余儀なくされたりします。
- 事例②:信頼できる現地パートナーが見つからず、契約トラブルや売上金の未回収が発生
- 背景: 現地の商慣習や人脈に乏しいため、紹介や表面的な情報だけでパートナーを選定。契約内容の確認が不十分だったり、現地の法務知識がなかったりする。
- リスク: 契約リスク、カントリーリスク(信用リスク)、法務リスク。 詐欺に遭う、契約不履行で損害を被る、債権回収が不可能になるなど、事業継続そのものが危ぶまれる事態に発展する可能性があります。
- 事例③:現地法規制を知らず、思わぬ罰金や事業停止命令を受けた
- 背景: 日本の常識でビジネスを進めてしまう。現地の許認可制度、労働法、環境規制、消費者保護法など、多岐にわたる法規制の確認を怠る、あるいは専門家に相談しない。
- リスク: 法務リスク、コンプライアンスリスク。 事業の遅延、コスト増加、信用の失墜だけでなく、刑事罰の対象となる可能性すらあります。特に労働法や税務は国によって大きく異なり、知らずに違反しているケースが少なくありません。
- 事例④:駐在員が孤立し、体調を崩したり、現地社員との関係が悪化したりした
- 背景: 駐在員に丸投げし、日本本社からのサポートが不十分。異文化への適応支援、メンタルヘルスケア、現地語研修、あるいは現地での人事・労務に関する相談窓口がない。現地社員の文化や価値観を理解しようとせず、日本のやり方を一方的に押し付ける。
- リスク: 人的リスク、労務リスク、レピュテーションリスク。 駐在員のパフォーマンス低下、病気による帰任、現地拠点の組織崩壊、離職率の上昇、そして企業のブランドイメージ悪化につながります。これは、特に人事・労務、産業保健に携わる皆様にとって、最も懸念されるべきリスクの一つではないでしょうか。
- 事例⑤:為替変動や予期せぬ政治変動で大きな損失を被った
- 背景: 為替ヘッジなどの金融リスク管理を行わない。進出国の政治情勢や社会情勢の不安定さを軽視する。
- リスク: 為替リスク、カントリーリスク(政治・経済リスク)。 利益が吹き飛んだり、資産が凍結されたり、事業そのものが継続できなくなる可能性があります。
これらの失敗事例は、「なんとなく」ではなく、具体的なリスクとして、どの海外進出にも潜んでいます。特に中小企業の場合、一度大きな失敗をすると、国内事業にも深刻な影響を及ぼし、事業継続そのものが困難になる可能性も否定できません。
まとめ: 海外事業の「壁」を認識することが成功への第一歩
中小企業が海外事業でつまずきやすいのは、大企業に比べてリソースが限られていること、そしてそのために事前の調査・準備が不足し、様々なリスクへの対応が後手に回りやすい構造にあることがお分かりいただけたかと思います。
しかし、これは決して中小企業が海外進出を諦めるべきだということではありません。重要なのは、こうした「壁」や「リスク」が存在することをしっかりと認識し、それらを乗り越えるための具体的な対策を、事前の準備段階から講じることです。
では、これらの課題やリスクに対し、中小企業は具体的にどのように向き合い、どのような準備を進めていけば良いのでしょうか?特に、前述の失敗事例④で触れた「人的リスク」は、人事・労務、そして社員の健康管理に関わる皆様にとって、最も関心のある領域ではないでしょうか。
次のセッションでは、このブログの核心である「人事・労務のプロが指摘する、海外事業展開における『人材』の課題」に焦点を当て、中小企業が直面する具体的な問題点とその兆候、そしてプロフェッショナルな視点から見た課題の洗い出し方について深掘りしていきます。あなたの会社でも起こりうる、見えづらい「人材」に関する課題に気づくヒントが、きっと見つかるはずです。
海外事業成功の鍵は、「人」と「準備」にあります。まずは、自社がどのような壁に直面しうるのか、次のセッションでさらに具体的に考えていきましょう。