働き方改革の波に対応し、適切に労働時間管理を行うためには、まず「労働時間」とは何か、そして私たち企業が従うべき基本的な法規制を正しく理解することが不可欠です。特に、中小企業にも適用された「残業時間の上限規制」は、その内容とリスクを正確に把握しておく必要があります。
このセッションでは、労働時間管理の基礎となる法律知識を分かりやすく解説し、なぜ今これらの規制が重要視されているのか、そして違反した場合にどのようなリスクがあるのかを深掘りしていきます。難解に感じられるかもしれませんが、貴社のコンプライアンスを守り、社員が安心して働ける環境を作るための、まさに「土台」となる知識です。
2-1. 労働基準法における労働時間の定義とは?
「労働時間」とは、単に実際に作業を行っている時間だけを指すわけではありません。労働基準法において「労働時間」と見なされるのは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」を指します。これは、使用者の明示または黙示の指示により、労働者が業務に従事する時間全てを含みます。
具体的にどのような時間が労働時間に含まれるのでしょうか。
- 所定労働時間: 就業規則などで定められた、本来働くべき時間(例: 9時~17時、休憩1時間)。
- 法定労働時間: 労働基準法で定められた、原則として1日8時間、1週40時間という上限。この法定労働時間を超えて働かせた場合が「時間外労働(残業)」となります。
- 休憩時間: 労働時間の途中に与えられる休憩時間は、原則として労働時間には含まれません。ただし、労働者が完全に解放され、自由に利用できる時間である必要があります。電話番や来客対応を命じられている場合など、休憩時間中に使用者の指揮命令下にある場合は、休憩時間と見なされず労働時間に含まれます。
- 手待時間: 実際に作業はしていなくても、業務のために待機している時間(例: トラック運転手の荷待ち時間、顧客からの連絡を待つ時間など)。これも一般的に労働時間と見なされます。
- 準備・片付け時間: 着替えや清掃など、業務に必要な準備や後片付けの時間についても、使用者の指揮命令下で行われている場合は労働時間に含まれることがあります。
- 研修・教育時間: 参加が義務付けられている研修や教育の時間も、労働時間と見なされます。
重要なのは、「形だけ」ではなく、実態として使用者の指揮命令下にあるかどうかです。例えば、始業時間前の準備行為であっても、事実上強制されている場合は労働時間と判断される可能性があります。「着替え時間は労働時間ではない」と一律に決めつけるのではなく、その実態を確認することが重要です。この「指揮命令下にあるか」という考え方は、後述するリモートワークでの労働時間把握にもつながる重要なポイントです。
2-2. なぜ今、「36協定」と「残業時間の上限規制」が重要なのか?
法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超えて、または法定休日に労働者を労働させる場合、企業は労働者の過半数で組織する労働組合(ない場合は労働者の過半数代表者)と書面による協定を結び、これを労働基準監督署に届け出る必要があります。これが**「時間外労働・休日労働に関する協定届」、通称「36(サブロク)協定」**です。
この36協定を結び、届け出ていなければ、原則として法定労働時間を超えて労働させること自体が労働基準法違反となります。つまり、36協定は適法に残業をさせるための「通行手形」のようなものです。
しかし、これまでの36協定には「特別条項」を設けることで、事実上いくらでも残業をさせることが可能でした。この「青天井」とも揶揄された状態が、過労死やメンタルヘルスの問題を引き起こす一因とされてきました。
そこで、「働き方改革関連法」により導入されたのが**「時間外労働の上限規制」**です。2019年4月(中小企業は2020年4月)から、この上限規制が法律で義務付けられました。
この上限規制のポイントは以下の通りです。
- 原則: 月45時間、年360時間
- 臨時的な特別な事情がある場合(特別条項を結んだ場合):
- 年720時間以内
- 単月100時間未満(休日労働を含む)
- 2~6ヶ月平均80時間以内(休日労働を含む)
- 原則の月45時間を超えることができるのは、年間6ヶ月まで
この上限規制は「罰則付き」であり、法律として強制力を持つ点が従来と大きく異なります。かつての特別条項は、協定を結べば事実上の上限はなくなりましたが、現在は特別条項を結んだとしても、上記のような厳しい上限が課せられることになったのです。
なぜこれが中小企業で働く貴社の社員、そして貴社にとって重要なのでしょうか。
- 社員の健康維持: 長時間労働は、心身の健康を著しく損なうリスクを高めます。この規制は、社員が健康を維持しながら働き続けられるよう、労働時間に明確なブレーキをかけるものです。
- 生産性向上の促進: 「時間には限りがある」という意識が芽生えることで、限られた時間内で成果を出すための業務効率化や生産性向上への取り組みが促進されます。
- 公正な競争環境: 大企業だけでなく中小企業も同じルールで管理されるため、労働時間に関するコンプライアンスにおいて公正な競争環境が生まれます。
これらの規制を正しく理解し、遵守することは、単に法律を守るだけでなく、社員の健康、定着率向上、そして企業の持続的な成長のために不可欠な「戦略的な投資」なのです。
2-3. 知らなかったでは済まされない!罰則規定と企業リスク
時間外労働の上限規制を含む労働時間に関する規制に違反した場合、企業には厳しい罰則が科されます。労働基準法第119条に基づき、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金が定められています。
特に、以下のようなケースは労働基準監督署の監督指導の対象となりやすく、悪質と判断された場合は罰則適用や企業名公表のリスクが高まります。
- 36協定を締結・届出せずに法定労働時間を超えて労働させた場合
- 36協定の上限時間(特別条項含む)を超えて労働させた場合
- 休日労働に関する規定に違反した場合
- 休憩時間や年次有給休暇に関する規定に違反した場合
- 労働時間の記録義務(後述します)を怠った場合
これらの直接的な罰則に加え、法規制への違反は企業に甚大な間接的リスクをもたらします。
- 企業の信用失墜とレピュテーションリスク: 法令違反が明るみに出れば、企業イメージは大きく損なわれます。取引先からの信用低下、採用活動への悪影響、既存社員の離職率増加など、回復には多大な時間とコストがかかります。特にインターネットやSNSの時代においては、情報は瞬く間に拡散されます。
- 訴訟リスク: 長時間労働が原因で社員が健康を損なったり、最悪の場合亡くなったりした場合、遺族や本人から安全配慮義務違反を問う訴訟を起こされるリスクがあります。損害賠償額は高額になるケースも少なくありません。
- 採用活動への悪影響: ブラック企業というレッテルを貼られれば、新たな人材の確保は極めて困難になります。「人手不足」がさらに深刻化する悪循環に陥りかねません。
- 社員のモチベーション・エンゲージメント低下: 法令違反や過重労働が常態化している企業で、社員が高いモチベーションを維持することは困難です。企業への信頼が失われ、エンゲージメントの低下は生産性のさらなる低下を招きます。
これらのリスクは、特に経営資源が限られている中小企業にとって、会社の存続を揺るがしかねないほど重大なものです。「知らなかった」「うっかりしていた」では済まされないのが、労働法規に関するリスクです。
このセッションで触れた法規制の基本は、労働時間管理の出発点です。次なるセッションでは、これらの法規制を遵守するために不可欠な「労働時間の正確な把握」という実務に焦点を当てていきます。客観的な記録の重要性や、多くの企業が導入を進める勤怠管理システムについて掘り下げていきましょう。