これまでの記事を通して、事業承継、とりわけ後継者不足という課題の深刻化の背景、そしてその解決には「人」を中心とした人事戦略が不可欠であることをご理解いただけたかと思います。また、現経営者、後継者候補、人事担当者それぞれの役割と心構えについても触れました。
頭では理解している。重要性も分かっている。でも、「一体、何から始めれば良いのだろう?」と感じている方も多いのではないでしょうか。
事業承継は、確かに会社の未来を左右する一大プロジェクトであり、その全容を考えると圧倒されてしまうかもしれません。しかし、何も最初から全てを完璧にこなす必要はありません。重要なのは、最初の一歩を踏み出し、少しずつでも着実にステップを進めていくことです。
ここでは、中小企業が事業承継を計画的に進めるために、「明日から」取り組める具体的な実践的ステップを、人事部が主体となって推進することを想定しながら解説します。
6-1. 最初の一歩:現状分析と課題の特定
どこに向かうにしても、まずは現在地を知ることから始まります。事業承継における「最初の一歩」は、貴社の「現状分析」を客観的に行い、事業承継に向けた「課題を特定」することです。これは、社長と人事担当者が協力して行うべき最も重要な初期段階です。
【具体的なアクション例】
- 事業承継に関する話し合いの場を設定する: まずは社長と人事担当者(人事部長やマネージャーなど、担当となるキーパーソン)の間で、事業承継について真剣に話し合う時間を公式に設定します。これは、単なる立ち話ではなく、アジェンダを決めたミーティングとして行います。
- 「現状分析チェックリスト」を作成・共有する:
- 経営状況: 過去数年の財務状況(売上、利益、負債など)、主要な取引先、市場での立ち位置、競合との比較、自社の強み・弱みなどを客観的にリストアップ・整理します。事業や組織に関する基本的な情報を網羅することが重要です。
- 人材: 役員および主要な管理職の年齢、勤続年数、スキル、経験、事業承継への意欲や適性(過去の評価などを参照)、そして後継者候補となりうる人材のリストアップ(複数名)と現状の育成状況を整理します。人事部が持つ人材情報がここで活かされます。
- 現経営者の意向: 社長の引退時期の希望、事業承継の方法(親族、従業員、M&Aなど)に関する考え、会社に望む未来、退任後の役割希望などをヒアリングし、整理します。
- 「事業承継における課題」を特定する: 上記の現状分析の結果をもとに、「誰に、いつ、どのように事業承継するか」という観点から、貴社が抱える具体的な課題を洗い出します。
- 例:「後継者候補が複数いるが、誰が良いか決めきれない」「候補者はいるが、経営に必要なスキル(財務や法務など)が不足している」「社長に権限が集中しすぎており、権限移譲が進んでいない」「特定の取引先との関係が社長個人に依存している」「社内に事業承継に関する情報やノウハウがない」など。
- 優先順位をつける: 特定された課題の中から、特に事業承継の実現を妨げる可能性の高いもの、緊急度の高いものに優先順位をつけます。特に「人」に関する課題(候補者不在、育成遅れ、権限移譲など)は優先度が高くなることが多いです。
この「現状分析と課題の特定」は、事業承継という山を登るための地図を手に入れる作業です。どこに困難があるのか、何から取り組むべきかを明確にすることで、次のステップへと迷わず進むことができます。社長と人事が率直に話し合い、共通認識を持つことが重要です。
6-2. 具体的な計画策定:誰が、いつまでに、何をするか
現状分析と課題特定が終わったら、次はそれらを解決するための「具体的な計画策定」に移ります。「誰が」「いつまでに」「何を」行うのかを明確にすることで、計画は単なる希望ではなく、実行可能なアクションリストとなります。人事部は、この計画を「見える化」する中心的な役割を担います。
【具体的なアクション例】
- 事業承継の「ゴール」を設定する: 「〇年後の〇月〇日に、後継者に会社の代表権を移譲する」「それまでに、後継者は〇〇のスキルを習得し、△△の実績を上げる」など、事業承継を完了する時期と、その状態を具体的に設定します。
- 「事業承継推進チーム」を発足する: 社長、人事担当者に加え、必要に応じて社内のキーパーソンや外部の専門家(税理士、弁護士、事業承継コンサルタントなど)を含めたチームを組み、計画の推進責任者を明確にします。
- 「事業承継計画タイムライン」を作成する: ゴールから逆算し、各ステップ(例: 後継者候補決定、個別育成計画開始、権限移譲開始、関係者への公表など)の完了時期を定めたタイムラインを作成します。中小企業の場合、5年~10年程度のタイムラインを設定することが多いですが、会社の状況に合わせて柔軟に設定します。
- 「人材育成・権限移譲計画」を詳細化する: ステップ3で定めたタイムラインに沿って、課題特定の段階で洗い出した「人」に関する課題を解決するための具体的なアクションを計画します。
- 例:「後継者候補〇〇に対し、〇月までに財務研修を実施」「△△部長をメンターとし、週に1回、経営に関するOJTを実施」「□□業務に関する権限を、〇年〇月までに後継者候補に移譲開始」など。
- 人事担当者は、この育成計画を個別に作成し、関係者と共有します。
- 「コミュニケーション計画」を策定する: 誰に(従業員、取引先、金融機関など)、いつ、何を伝えるのかを計画します。「事業承継の意向表明」「後継者候補の発表」「育成状況の報告」「正式なバトンタッチの告知」など、重要な節目ごとのコミュニケーション内容とタイミングを決めます。
この「具体的な計画策定」は、事業承継という旅のルートを決める作業です。地図(現状分析)だけでは不安ですが、具体的なルート(計画)があれば、どこに進めば良いかが明確になり、迷うことが減ります。人事部は、このルートを作成し、皆が共有できるようにする役割を担います。
6-3. 計画実行と定期的な見直し
事業承継は、計画を立てて終わりではありません。最も重要なのは、「計画実行」と、変化する状況に合わせた「定期的な見直し」です。立てた計画を机の中にしまっておかず、日々のアクションに落とし込み、進捗を確認することが失敗しないために不可欠です。
【具体的なアクション例】
- 計画に基づいたアクションを「明日から」開始する: 計画策定で決めた「誰が」「いつまでに」「何を」を、文字通り「明日から」実行に移します。研修の申し込み、メンターとの面談設定、後継者候補への業務権限委譲、関係者への最初のコミュニケーションなど、できることからすぐに始めます。
- 「事業承継推進チーム」で定期的な進捗確認会議を実施する: ステップ6-2で発足したチームで、週に1回、あるいは月に1回など、定例で進捗確認の会議を実施します。計画通りに進んでいるか、遅れている場合は原因は何か、次のアクションは何かを話し合います。人事担当者が会議のファシリテーターとなることが効果的です。
- 後継者候補への定期的なフィードバック: 後継者候補に対し、育成計画の進捗や、権限移譲した業務の遂行状況について、現社長やメンター、人事から定期的にフィードバックを行います。良かった点、改善すべき点、期待していることなどを具体的に伝え、成長を促します。
- 事業環境や社内状況の変化に合わせた「計画の見直し」を行う: 事業承継計画は、あくまで現時点でのベストな計画です。市場の変化、競合の動向、社内の人材の状況変化(例: 候補者の異動や退職)など、予期せぬ事態が発生することもあります。半年〜1年に一度など、定期的に計画全体を見直し、必要に応じてタイムラインや育成プログラム、役割分担などを修正します。
- 関係者への進捗報告と情報共有: 事業承継の進捗状況や計画の見直しについて、従業員全体や主要な取引先など、関係者に対し、コミュニケーション計画に基づいて定期的に報告します。透明性を保つことで、不安や憶測を防ぎ、協力的な関係を維持します。
この「計画実行と定期的な見直し」は、事業承継という旅を安全に、そして着実に進めるための推進力と羅針盤です。計画は立てて終わりではなく、実行し、見直しながら進めていくマラソンのようなものです。人事部は、このマラソンのペースメーカーや伴走者、そして給水ポイントを提供する役割を担います。
次なる一歩へ:落とし穴を避け、成功事例から学ぶ
今回の記事では、中小企業が事業承継に向けて「明日から」取り組める具体的な実践的ステップとして、現状分析、計画策定、そして実行と見直しのプロセスを解説しました。これらのステップを着実に踏むことが、事業承継を成功させるための最も確実な道筋です。
しかし、事業承継のプロセスには、様々な落とし穴も潜んでいます。計画通りに進まない、関係者間の意見の対立、予期せぬ問題の発生など、失敗に繋がりうる要因は少なくありません。
次回の記事では、中小企業が事業承継において陥りやすい一般的な落とし穴を具体的に解説し、それを回避するための対策や心構えについて掘り下げていきます。そして、さらにその次の記事では、実際に「人」に関する戦略によって事業承承を成功させた中小企業の事例も紹介し、貴社での具体的な導入イメージを掴んでいただくことを目指します。
社長、人事部の皆様、事業承継は困難な道のりですが、適切なステップを踏み、落とし穴を回避し、そして成功事例から学ぶことで、その可能性は飛躍的に高まります。「明日から」、まずは最初のステップである現状分析から始めてみませんか?貴社の未来を拓く、最初の一歩を応援しています。どうぞご期待ください。