前回の記事では、相次ぐ法改正への対応が、もはや中小企業にとって避けて通れない経営課題であり、「知らなかった」では済まされない深刻なリスクを伴うことをお伝えしました。同時に、これを適切に進めることが、企業の成長と魅力向上に繋がるチャンスでもあることを示唆しました。
では、具体的に中小企業の経営者や人事担当者が、「今」特に注意深く見ておくべき法改正のトレンドにはどのようなものがあるのでしょうか?
ここでは、特に影響が大きいと考えられる主要なトレンドを5つピックアップし、それぞれの概要と、中小企業が押さえるべきポイントを解説します。法改正の全体像を把握し、「次に何をすべきか」を考えるための足がかりとしていただければ幸いです。
※本記事では、各法改正の概要と中小企業への影響に焦点を当てています。詳細な法律の条文解説については、厚生労働省等の公的機関が提供する情報や専門家の意見を必ずご確認ください。
2-1. 残業時間上限、有給休暇取得義務…働き方改革関連法の最新ポイント
「働き方改革」は、数年にわたり段階的に施行されてきましたが、その影響は今なお中小企業に及び、新たな課題を生んでいます。特に以下の2点は、全ての企業が確実に遵守すべき、文字通り「基本中の基本」です。
- 時間外労働(残業)の上限規制
- 大企業より遅れて、中小企業にも2020年4月から適用が始まりました。原則として、月45時間、年360時間という上限が設けられています。
- 臨時的な特別の事情がある場合でも、「年720時間以内」「複数月平均80時間以内(休日労働含む)」「月100時間未満(休日労働含む)」という厳しい上限が課されています。これに違反した場合、罰則(6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金)が科される可能性があります。
- 中小企業でよくある課題は、「これまでサービス残業が横行していた」「正確な労働時間管理ができていない」「現場の業務量が多すぎて、物理的に上限規制が難しい」といった点です。
- 押さえるべきポイント:
- まず、全従業員の労働時間を正確に把握する仕組み(タイムカード、勤怠管理システムなど)を整備・徹底すること。これは全ての労務管理の基本中の基本です。
- 法定労働時間を超える時間外労働・休日労働を行わせる場合は、労使協定(36協定)の締結・届出が必須であること。
- 上限規制を超えないよう、業務効率化や人員配置の見直しを真剣に検討すること。これは生産性向上にも繋がります。
- 特別条項付き36協定を結ぶ場合の要件や、労働者の健康確保措置について理解すること。
- 年次有給休暇の年5日取得義務
- 2019年4月から、全ての企業で、法定の年次有給休暇日数が10日以上の労働者(管理監督者含む)に対し、年間5日、時季を指定して取得させることが義務化されました。これに違反した場合も罰則(労働者1人につき30万円以下の罰金)が科される可能性があります。
- 「パートやアルバイトにも関係あるの?」「従業員が勝手に取ってくれない」「会社の事業計画と調整が難しい」といった疑問や課題を持つ中小企業も多いでしょう。
- 押さえるべきポイント:
- 年次有給休暇の付与日数、取得義務の対象者を正確に把握すること。パート・アルバイトでも、所定労働日数によっては対象となります。
- 取得状況を管理する簿(年次有給休暇管理簿)を作成し、3年間保存すること。
- 計画的付与制度の導入や、従業員への時季指定の聴き取りなど、年5日取得を確実に実行するための具体的な方法を検討すること。
- 有給休暇を取得しやすい職場の雰囲気づくりが、最終的には従業員の定着やモチベーション向上に繋がることを理解すること。
これらの働き方改革関連法への対応は、単に法律を守るだけでなく、従業員の働く意欲を高め、企業全体の活力を向上させるための第一歩です。
2-2. パワハラ・セクハラだけじゃない!多様化するハラスメント対策と企業責任
2020年6月から大企業、2022年4月からは中小企業にも、職場におけるパワーハラスメント防止措置が法的に義務付けられました(労働施策総合推進法)。これは、セクシュアルハラスメント、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント(マタハラ等)に加えて、企業が取り組むべきハラスメント対策の範囲が明確になったことを意味します。
- パワハラ防止法のポイント
- パワハラとは、「①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるもの」と定義されています。この3つの要素全てを満たすものがパワハラに該当します。
- 企業に義務付けられているのは、以下の措置を講じることです。
- 事業主の方針の明確化及びその周知・啓発(就業規則等への規定、研修実施など)
- 相談に応じ、適切に対応するための体制の整備(相談窓口の設置、担当者の決定など)
- 職場におけるハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応(事実確認、被害者・加害者への措置、再発防止措置など)
- 併せて講ずべき措置(相談者・行為者等のプライバシー保護、不利益取扱いの禁止など)
- 中小企業からは、「相談窓口を誰に頼めばいい?」「担当者が専門知識を持っていない」「そもそもハラスメントの定義が曖昧で判断が難しい」といった声が聞かれます。
- 多様化するハラスメントへの対応
- パワハラ、セクハラ、マタハラ等に加え、リモートワーク環境での「リモハラ」、カスタマーハラスメント(カスハラ)など、ハラスメントの種類は多様化しています。これらの全てに対し、企業は従業員が安心して働ける環境を提供する責任があります。
- 押さえるべきポイント:
- 就業規則等にハラスメントに関する規定を明確に盛り込み、全従業員に周知すること。
- 従業員が安心して相談できる窓口を設置すること。社内に適任者がいなければ、外部の専門家(弁護士、社会保険労務士など)や相談窓口サービスを活用することも有効です。
- ハラスメントに関する研修を定期的に実施し、全従業員の意識を高めること。管理職だけでなく、一般従業員も対象とすることが重要です。
- 相談があった場合には、速やかに事実関係を確認し、被害者への配慮、加害者への適切な措置、再発防止策を講じること。その際、関係者のプライバシーを守ることが極めて重要です。
ハラスメント対策は、単なるリスク回避策ではありません。従業員がお互いを尊重し、心理的安全性の高い職場で働くことは、創造性やチームワークを高め、企業の競争力向上に不可欠です。海外の先進企業でも、多様性(Diversity)と包括性(Inclusion)を重視した取り組みの一環として、ハラスメント防止だけでなく、お互いを認め合う文化醸成に力を入れています。
2-3. 労働安全衛生法改正と、中小企業における健康経営推進のヒント
長時間労働による過労死やメンタルヘルス不調の問題を受け、労働者の健康管理に関する企業の責任は年々重くなっています。労働安全衛生法の改正は、この流れを象徴しています。
- 労働安全衛生法の主な改正ポイント
- ストレスチェック制度の義務化: 従業員50人以上の事業場では、年に1回、ストレスチェックを実施することが義務付けられています(2015年12月施行)。従業員自身のストレスへの気づきを促し、高ストレス者に対する医師による面接指導につなげることで、メンタルヘルス不調を未然に防止することが目的です。
- 長時間労働者に対する医師の面接指導: 法定の時間を超える長時間労働を行った労働者に対し、医師による面接指導を実施することが企業に義務付けられています。対象となる労働者の範囲が拡大されたり、医師からの意見聴取や就業上の措置義務が強化されたりしています。
- 産業医・産業保健機能の強化: 産業医の独立性・中立性の確保、労働者の健康管理等に必要な情報の産業医への提供義務、産業医からの助言を尊重する義務などが強化されています。
- 健康経営との関連
- これらの法改正は、企業が単に法律で定められた安全衛生管理を行うだけでなく、従業員の健康を経営的な視点から考え、戦略的に実践する「健康経営」を推進することの重要性を示しています。従業員が心身ともに健康であれば、活力や生産性が向上し、企業の業績向上や組織活性化に繋がります。
- 中小企業からは、「産業医にどこまで頼めるの?」「ストレスチェックの結果をどう活かせばいいか分からない」「健康管理にコストをかけられない」といった声があります。
- 押さえるべきポイント:
- 自社の従業員規模に応じた産業保健体制(産業医の選任、衛生推進者の選任など)を確認し、適切に運用すること。従業員50人未満の事業場でも、努力義務として労働者の健康管理に努める必要があります。地域産業保健センターなど、無料で相談できる公的機関の活用も検討しましょう。
- ストレスチェックを単なる義務として実施するだけでなく、集団分析の結果を職場環境改善に活かす視点を持つこと。
- 長時間労働者への面接指導を確実に実施し、医師の意見を踏まえた適切な措置(労働時間の短縮、配置転換など)を講じること。
- 健康診断の実施や、その結果に基づく事後措置を適切に行うこと。
- 「健康経営優良法人」認定制度などを参考に、従業員の健康増進に向けた取り組みを計画的に推進すること。これは対外的なイメージ向上にも繋がります。
米国の先進企業では、従業員のウェルビーイング(心身の健康、働きがいなど)を経営の重要課題と位置づけ、オフィス環境の改善、柔軟な働き方の推奨、メンタルヘルスサポートの充実などに積極的に取り組んでいます。日本でも、伊藤忠商事株式会社が朝型勤務を導入し、生産性向上と従業員の健康増進を両立させた事例は有名です。法改正を機に、貴社でも「健康経営」の視点を取り入れてみてはいかがでしょうか。
2-4. パート・アルバイトも対象?社会保険適用拡大の落とし穴
短時間労働者(パートタイマーやアルバイト)に対する厚生年金保険・健康保険の適用が、段階的に拡大されています。これは、非正規雇用で働く人々のセーフティネットを強化し、将来の年金受給額を増やすことなどを目的としています。
- 社会保険適用拡大のポイント
- これまで従業員数501人以上の企業が対象でしたが、2022年10月からは101人以上、そして2024年10月からは51人以上の企業にまで対象が拡大されます。これにより、多くの中小企業が適用拡大の対象となります。
- 適用対象となる短時間労働者は、以下の全ての要件を満たす人です。
- 週の所定労働時間が20時間以上
- 月額賃金が8.8万円以上
- 勤務期間が2ヶ月以上見込み
- 学生ではない
- 押さえるべきポイント:
- まず、自社の従業員数を確認し、2024年10月から適用拡大の対象となるかどうかを把握すること。
- 対象となりそうな短時間労働者がいるかどうか、上記の要件に照らして確認すること。
- 適用対象となる従業員が増えた場合、会社と従業員双方の社会保険料負担が増加すること。これに伴う人件費増を考慮に入れる必要があります。
- 従業員に対し、社会保険適用によるメリット(将来の年金増額、傷病手当金・出産手当金の受給など)と、デメリット(手取り収入の減少)について丁寧に説明し、理解を得ること。
- 加入手続きや保険料計算など、人事・経理部門の事務負担が増えることを見込み、体制を整えること。
パート・アルバイトを多く雇用している中小企業にとって、社会保険の適用拡大は人件費や事務負担に直接影響するため、特に注意が必要です。従業員との円滑なコミュニケーションを図り、誤解や不安を解消することが、トラブルを避ける上で非常に重要となります。
2-5. デジタル化とセットで考えるべき、個人情報保護法等の改正
働き方改革や行政手続きのオンライン化が進む中で、企業における「デジタル化」は避けて通れません。クラウドサービスの利用、電子契約、オンラインでの労務手続きなど、様々な場面で従業員や顧客の個人情報を取り扱う機会が増加しています。これに伴い、個人情報保護の重要性がこれまで以上に高まっています。
- 個人情報保護法の主な改正ポイント
- 2022年4月に改正個人情報保護法が全面施行され、個人の権利が強化されるとともに、企業に求められる義務が拡大されました。
- 主な改正点としては、個人情報が漏洩した場合の個人情報保護委員会への報告義務、不適正な方法での個人情報利用の禁止、仮名加工情報・匿名加工情報に関するルールの整備などがあります。
- 違反した場合の罰則も大幅に強化されています。
- 押さえるべきポイント:
- 自社でどのような個人情報を取得・利用しているかを改めて確認し、利用目的を明確にすること。
- 従業員情報、採用応募者情報、顧客情報など、全ての個人情報に対し、適切な取得、保管、利用、削除のプロセスを定めること。
- 情報漏洩や不正アクセスのリスクを低減するための技術的・組織的な安全管理措置を講じること。従業員への教育も不可欠です。
- 外部のクラウドサービスや業務委託先を利用する場合、委託先が適切な個人情報保護対策を講じているかを確認し、契約で明確に定めること。
- 個人情報が漏洩した場合の対応計画(インシデント発生時の初動対応、個人情報保護委員会への報告、本人への通知など)を事前に策定しておくこと。
デジタル化は業務効率化や利便性向上をもたらす一方で、情報セキュリティや個人情報保護のリスクを高める側面も持ち合わせています。特に中小企業では、セキュリティ専門の担当者がいない、予算が限られているといった課題があるかもしれませんが、情報漏洩は企業の信用を失墜させる決定的なダメージとなり得ます。デジタル化を進める際は、必ず個人情報保護法や関連法令への対応をセットで検討することが不可欠です。
まとめ:法改正のトレンドを掴み、次の一手へ
ここまで、中小企業が特に押さえるべき主要な法改正トレンド5選を概観してきました。働き方改革、ハラスメント対策、労働安全衛生、社会保険、そして個人情報保護…これらはそれぞれ個別のテーマに見えますが、根底には「働く人々を大切にし、公正で透明性の高い企業活動を行うべきである」という共通の思想があります。
これらのトレンドを正しく理解することは、リスクを回避するだけでなく、従業員が安心して活躍できる環境を作り、企業価値を高めるための出発点となります。
「法改正の内容は分かった。でも、具体的に何を、どう進めればいいの?」
そう思われた方もいらっしゃるでしょう。相次ぐ法改正への対応は、個別の課題として捉えるのではなく、企業の組織、制度、文化全体を見直す良い機会です。
次回の記事では、これらの法改正に対応するために、中小企業が具体的にどのようなステップで取り組んでいくべきか、そしてそれを単なる「義務」で終わらせず、どのように経営戦略に繋げていくのかについて、さらに深く掘り下げて解説します。具体的な実務の進め方や、活用できるリソースについても触れていく予定です。
ぜひ、次回の記事も合わせてお読みいただき、貴社の法改正対応を成功へと導く具体的な一歩を踏み出してください。