08-4. 今日から始める!中小企業のための実践的サイバーセキュリティ対策

これまでのセッションで、中小企業が直面しているサイバー攻撃の具体的な手口、そしてインシデント発生時の金銭的、信用的、法的、さらには「人的資本」への深刻な影響についてご理解いただけたかと思います。リスクの大きさを知るにつれて、「一体うちの会社はどうすれば良いんだ…」「難しそうで、何から手を付けて良いか分からない…」と、不安を感じられている方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、ご安心ください。サイバーセキュリティ対策は、最初から完璧を目指す必要はありません。大切なのは、「やらない」ではなく「まず、できることから一歩を踏み出す」ことです。中小企業でも無理なく始められ、効果を実感できる実践的な対策はたくさんあります。

このセッションでは、経営層や人事担当者の皆様が、今日からでも取り組める具体的なサイバーセキュリティ対策について、技術的な側面に加え、特に人事の皆様にご担当いただきたい「人」と「組織」に関する対策を中心に解説します。

4-1. まず取り組むべき技術的対策の第一歩:何をすべきか?(ファイアウォール、バックアップ、OS・ソフトウェア更新)

「技術的なことはIT担当者に任せっきりで…」という方も多いかもしれません。しかし、基本的な技術的対策は、会社のセキュリティの土台となるものです。すべてを理解する必要はありませんが、最低限、どのような対策がなぜ必要なのかを知っておくことは、経営層や人事担当者にとっても重要です。そして、これらの対策は、外部のITベンダーや専門家の力を借りることで、自社にIT人材がいなくても十分に実施可能です。

中小企業がまず取り組むべき、基本的かつ重要な技術的対策は以下の3つです。

  • ファイアウォール設定の確認・強化 ファイアウォールは、インターネットなどの外部ネットワークと社内ネットワークの間に設置され、不正な通信を遮断する「門番」のような役割を果たします。多くのオフィス用ルーターにはファイアウォール機能が搭載されていますが、設定が甘かったり、初期設定のままになっていたりすると、その役割を十分に果たせません。 実践のヒント: 現在使用しているルーターのファイアウォール設定が適切か、信頼できる外部のIT専門家や、機器のメーカーサポートに確認を依頼しましょう。不要なポート(通信の通り道)が開いていないかなどをチェックし、必要に応じて設定を強化します。これにより、外部からの不正侵入のリスクを大幅に減らすことができます。
  • 定期的なデータバックアップと保管場所の検討 ランサムウェア攻撃や機器の故障、誤操作などにより、大切なデータが一瞬で失われるリスクは常に存在します。データを失った場合の事業への影響は甚大です。だからこそ、定期的なデータバックアップは、サイバーセキュリティ対策における「生命線」とも言えるほど重要です。 実践のヒント:
    • 何をバックアップするか: 顧客情報、従業員情報、会計データ、営業データ、技術情報など、事業継続に不可欠なすべてのデータを対象とします。
    • バックアップ頻度: データの更新頻度に合わせて、毎日、または週に一度など、定期的にバックアップを実施します。
    • バックアップ方法: 外付けハードディスク、NAS(ネットワーク接続ストレージ)、クラウドストレージなど、様々な方法があります。中小企業にとっては、手軽に始められるクラウドストレージの活用も有効です。
    • 保管場所: バックアップデータは、元のデータと同じ場所に置かないことが極めて重要です。特にランサムウェアはネットワーク上のデータを暗号化するため、ネットワークから物理的または論理的に隔離された場所に保管する必要があります(「オフラインバックアップ」)。外部のクラウドサービスを利用したり、定期的にバックアップデータを外付けHDDに取得し、社外の安全な場所に持ち出したりといった方法が考えられます。
    • 復旧テスト: バックアップが正しく取れているか、そして実際にデータを復旧できるかを定期的にテストすることも忘れてはなりません。 経済産業省やIPA(情報処理推進機構)の中小企業向けセキュリティガイドラインでも、バックアップの重要性は繰り返し強調されています。これは、中小企業が限られた予算で最大限の効果を得るための、非常に費用対効果の高い対策です。
  • OS・ソフトウェアの常に最新の状態への更新 OS(Windows, macOSなど)や、業務で使用する様々なソフトウェア、アプリケーションには、時に「脆弱性(セキュリティ上の欠陥)」が見つかります。サイバー攻撃者は、この脆弱性を悪用してシステムに侵入したり、マルウェアを感染させたりします。脆弱性を解消するためには、ベンダーが提供する修正プログラム(アップデート)を適用し、常にソフトウェアを最新の状態に保つことが不可欠です。 実践のヒント:
    • 使用しているOSやソフトウェアの自動更新機能を有効に設定しましょう。
    • 自動更新が難しい場合は、定期的に手動でアップデートを確認・実施するルールを決め、担当者を明確にします。
    • 特にセキュリティソフト(ウイルス対策ソフト)は、定義ファイルを常に最新の状態に保つことが非常に重要です。
    • サポート期限が切れたOSやソフトウェアは、新たな脆弱性が見つかってもアップデートが提供されないため、使用し続けないようにしましょう。買い替えや新しいソフトウェアへの移行を検討する必要があります。

これらの技術的対策は、地味に思えるかもしれませんが、多くのサイバー攻撃を防ぐための「基本のキ」であり、実施することでリスクを大幅に低減できます。

4-2. 【人事担当者注目】 人事がリードすべき『従業員のセキュリティ教育』の重要性:具体的な教育・訓練方法

技術的な対策で「システム」を強化する一方で、サイバー攻撃を防ぐためには、「人」の対策が欠かせません。前回のセッションでも触れたように、サイバーインシデントの多くは人的要因に起因します。そして、従業員一人ひとりのセキュリティ意識を高め、正しい行動を促すための中心的な役割を担うのが、人事部門です。

「セキュリティ教育って、どんなことをすれば良いの?」「従業員は面倒くさがらないだろうか?」といった疑問をお持ちかもしれません。効果的なセキュリティ教育は、従業員を単に縛るものではなく、会社と従業員自身を守るために必要な知識とスキルを提供するものです。

人事がリードすべきセキュリティ教育の重要性:

  • 全従業員へのリーチ: 人事は、部署や役職に関わらず全従業員と関わる部門です。セキュリティ対策がIT部門任せになりがちな中、人事主導で教育を行うことで、組織全体にセキュリティ意識を浸透させることができます。
  • 組織文化への浸透: セキュリティを単なるルール遵守ではなく、企業文化の一部として根付かせるためには、人事からの継続的な働きかけが効果的です。
  • コンプライアンス遵守: 個人情報保護法などの法令遵守の観点からも、従業員への適切な教育は不可欠です。
  • 働き方の変化への対応: テレワークなど、働き方が多様化する中で、変化に応じたセキュリティ意識の醸成は人事の重要な役割です。

具体的な従業員のセキュリティ教育・訓練方法:

  • 階層別・テーマ別研修:
    • 全従業員向け基本研修: サイバー攻撃の基本的な手口(フィッシング、マルウェアなど)、パスワード管理の重要性、不審なメールやWebサイトへの対処法、情報持ち出しに関するルールなど、全員が知っておくべき基本事項を学びます。入社時研修に組み込むのは非常に効果的です。
    • 管理者向け研修: 部下の情報管理の徹底、チーム内のセキュリティ意識向上に向けたマネジメント方法などを学びます。
    • テレワーク向け研修: 自宅ネットワークの安全な利用方法、私用デバイス利用時の注意点、公共Wi-Fiのリスク、情報漏洩防止策など、テレワーク特有のリスクと対策に焦点を当てた研修を行います。
    • 情報取扱担当者向け研修: 機密情報や個人情報を扱う部署(経理、人事、営業、開発など)の従業員に対し、より専門的な情報管理のルールやリスクについて学ぶ研修を行います。 研修の形式は、集合研修だけでなく、時間や場所を選ばずに学べるeラーニングの活用も有効です。外部の専門機関や、セキュリティ教育コンテンツを提供するサービスなどを活用することで、自社でゼロから教材を作成する手間を省くことができます。日本国内でも、中小企業向けのセキュリティ教育サービスが増えています。
  • フィッシングメール訓練: 前回のセッションでも触れましたが、これは最も実践的かつ効果的な訓練の一つです。実際に、本物そっくりのフィッシングメールを従業員に送りつけ、誰がクリックしたか、情報を入力したかなどを確認します。訓練結果を本人にフィードバックし、注意すべき点を個別に指導することで、実践的な対応力を養います。訓練を定期的に実施することで、従業員の「怪しい」と感じるセンサーが磨かれ、実際の攻撃に対する免疫力を高めることができます。米国の多くの企業では、定期的なフィッシング訓練が一般的です。
  • 継続的な注意喚起と情報共有: セキュリティ脅威は常に変化しています。研修や訓練は一度きりではなく、継続的な情報提供が重要です。
    • 社内報やメールマガジンで、最新のサイバー攻撃の事例や注意喚起を定期的に発信する。
    • 社内ポスターやステッカーで、パスワード管理や離席時のPCロックなどを促す。
    • 社内SNSやチャットツールを活用し、従業員からのセキュリティに関する疑問に答えたり、気づきを共有したりする場を設ける。 このように、様々なチャネルを活用し、従業員のセキュリティ意識を高い状態に維持する工夫が必要です。

人事部門がこれらのセキュリティ教育を主導することで、従業員はセキュリティ対策を「やらされ仕事」ではなく、「自分たちの会社と自分自身を守るために必要なこと」として捉えられるようになります。これが、組織全体のセキュリティレベル向上に繋がる最も強力な推進力となります。

4-3. 社内の体制構築とセキュリティポリシーの策定・周知徹底

従業員一人ひとりの意識と行動も重要ですが、組織として統一されたルールや体制がなければ、対策は属人的になり、抜け漏れが発生しやすくなります。セキュリティ対策を組織的に推進するための基盤作りも不可欠です。

  • セキュリティ推進体制の構築: 中小企業でも、セキュリティ対策に関する責任者や担当者を明確にすることが重要です。社長が最高責任者となり、IT部門、総務部門、そして人事部門などが連携する体制を構築します。専任の担当者を置くのが難しければ、兼任でも構いません。「何かあったら、誰に相談すれば良いのか」「誰が主導して対策を進めるのか」を明確にすることで、取り組みがスムーズに進みます。定期的にセキュリティに関する会議を開催し、情報共有や進捗確認を行うことも効果的です。
  • セキュリティポリシー(基本方針・規程)の策定: サイバーセキュリティに関する基本的な考え方や、従業員が遵守すべきルールを文書化したものがセキュリティポリシーです。これにより、組織全体の行動指針が明確になり、セキュリティ対策を統一的に進めることができます。 盛り込むべき内容の例:
    • 会社の情報資産の分類と管理方法
    • パスワードの設定基準と管理方法
    • インターネット、メール、SNSの利用ルール
    • 外部記憶媒体(USBメモリなど)の利用ルール
    • 会社からの情報持ち出しに関するルール
    • インシデント発生時の報告体制と初期対応
    • 罰則規定(ルール違反があった場合) ゼロから作成するのが難しければ、経済産業省が提供する「セキュリティ実践ハンドブック」や、IPAが公開している中小企業向けの各種ガイドラインには、セキュリティポリシーのひな形や策定のポイントが掲載されていますので、これらを参考に自社に合わせてカスタマイズすると良いでしょう。
  • ポリシーの周知徹底: せっかくポリシーを策定しても、従業員に内容が伝わっていなければ意味がありません。策定したポリシーは、社内イントラネットなど従業員がいつでも参照できる場所に公開し、前述のセキュリティ教育の機会などを通じて、内容をしっかりと周知徹底します。従業員からポリシーに関する疑問や意見を吸い上げる仕組みを作ることも、ポリシーの実効性を高める上で重要ですし、組織文化として根付かせるための第一歩となります。

体制構築とポリシー策定は、中小企業にとって少しハードルが高く感じられるかもしれませんが、これはセキュリティ対策を場当たり的なものにせず、継続的に、そして組織全体で取り組むための土台となります。信頼できる外部の専門家に相談しながら進めることも可能です。

4-4. 万が一に備える:インシデント対応計画の必要性とBCP(事業継続計画)との連携

どれだけ強固な対策を講じても、サイバー攻撃のリスクを完全にゼロにすることは困難です。重要なのは、「万が一、インシデントが発生してしまったら、どうするか」を事前に具体的に定めておくことです。これにより、インシデント発生時の混乱を最小限に抑え、迅速かつ適切に対応することができます。

  • インシデント対応計画(IRP: Incident Response Plan)の策定: インシデント対応計画とは、サイバー攻撃などのセキュリティインシデントが発生した場合に、誰が、いつ、何を、どのような手順で行うかを定めたものです。 計画に含めるべき内容の例:
    • インシデント発生の連絡・報告体制(誰が最初に気づき、誰に、いつ、どのように報告するか)
    • 初動対応の手順(被害拡大の防止、ネットワークからの隔離、証拠保全など)
    • 原因究明の手順
    • 対外発表の要否、発表時期、内容、方法(プレスリリース、Webサイト掲載など)
    • 顧客・取引先への連絡方法と内容
    • 関係機関(警察、個人情報保護委員会など)への報告・相談の手順
    • 復旧の手順と目標時間(RTO: Recovery Time Objective)
    • 担当者の役割分担と連絡先リスト 中小企業の場合、詳細な計画を立てるのが難しければ、まずは「インシデント発生時の緊急連絡先リスト(社内外の担当者、専門家など)」と「最低限の初動対応手順(例:感染したPCをネットワークから切り離す)」だけでも定めておくことから始めましょう。これにより、いざという時に「どうしよう」とパニックになる事態を防ぐことができます。
  • BCP(事業継続計画)との連携: サイバーインシデントによるシステム停止やデータ喪失は、地震や水害といった自然災害と同様に、事業継続を脅かす主要なリスクです。多くの企業でBCPの策定が進められていますが、その中で「サイバーインシデント発生時の事業継続」に関するシナリオや対応手順を組み込んでおくことが非常に重要です。 例えば、ランサムウェアにより基幹システムが停止した場合に、手作業で業務を継続するための代替手順や、復旧の優先順位などをBCPに盛り込んでおきます。そして、BCPの訓練を行う際に、サイバーインシデント発生を想定した訓練(例:システムが使えない状態で顧客からの問い合わせにどう対応するか)を実施することで、実効性を高めることができます。サイバーインシデント対応計画は、BCPの一部として位置づけることも可能です。

インシデント対応計画とBCPの策定は、まさに「転ばぬ先の杖」です。不幸にしてインシデントが発生してしまった場合に、被害を最小限に抑え、事業を一日でも早く復旧させるための重要な備えとなります。

実践は一歩ずつ:継続することが力になる

今日から始められる中小企業のための実践的なサイバーセキュリティ対策として、技術的な基本、従業員教育、体制構築、インシデント対応計画についてご紹介しました。

「すべてを一度にやるのは大変だ…」と感じられたかもしれません。しかし、繰り返しますが、すべてを完璧にこなす必要はありません。まずは、自社の状況を踏まえ、リスクが高いと思われる部分から、できる範囲で一歩ずつ取り組みを始めることが何よりも重要です。

特に、人事担当者の皆様には、従業員のセキュリティ教育に積極的に関わっていただきたいと強く思います。「人」への投資こそが、技術だけでは防ぎきれないサイバーリスクに対する、最も効果的で持続可能な対策だからです。従業員一人ひとりの意識と行動が変われば、組織全体のセキュリティレベルは確実に向上します。

次のセッションでは、さらに一歩進んだサイバーセキュリティ対策の考え方として、外部リソースの活用や最新トレンドへの対応、そしてこれらの対策がどのように企業の未来への投資、つまり「人的資本経営」や「働き方改革」と繋がっていくのかを深掘りしていきます。

実践的な対策のヒントを得た今、次のステップへの興味がさらに高まったのではないでしょうか。どうぞ、次のセッションもお楽しみに。