これまでのセッションを通じて、中小企業を取り巻くサイバーリスクの現実、具体的な攻撃手法、そしてインシデント発生時の深刻な影響、さらには今日から始められる基本的な対策について理解を深めていただけたかと思います。
基本的な技術対策、従業員教育、体制構築、そしてインシデント対応計画。これらは、サイバーセキュリティ対策の強固な土台となります。しかし、サイバー攻撃の手法は日々進化しており、ビジネス環境もまた、DXの推進や新たな技術の登場(特に生成AI)によって急速に変化しています。
変化の速い時代において、会社の情報資産と事業、そして大切な「人的資本」を守り続けていくためには、基本的な対策に加えて、さらに一歩進んだ視点と、未来を見据えた投資の考え方が必要となります。
このセッションでは、中小企業がセキュリティレベルをさらに引き上げるための次のステップとして、外部リソースの効果的な活用法、対策費用の捻出に役立つ国の支援制度、そしてDXや生成AI時代における新たなリスクとその対策について深掘りします。
5-1. 外部の専門家(セキュリティベンダー、コンサルタント)へ相談するメリット
「基本的な対策はやったけれど、これで十分か不安だ」「もっと高度な対策が必要かもしれないが、自社に専門知識を持ったIT人材がいない」――多くの経営者や人事担当者が抱える共通の悩みではないでしょうか。
中小企業にとって、専任の高度なセキュリティ人材を雇用し続けることは、コスト面や採用の難しさから現実的ではない場合がほとんどです。そこで有効なのが、外部の専門家、すなわちセキュリティベンダーやコンサルタントの力を借りることです。
外部専門家を活用するメリット:
- 最新の脅威情報と専門知識: セキュリティ専門家は、常に最新のサイバー攻撃の手法や脆弱性に関する情報を把握しています。彼らの専門知識に基づいた診断やアドバイスは、自社だけでは気づけないリスクを発見し、効果的な対策を講じる上で非常に役立ちます。
- 客観的なセキュリティ診断: 自社のシステムやネットワークに潜在する脆弱性を、客観的な視点から診断してもらえます(脆弱性診断、ペネトレーションテストなど)。これにより、優先的に対策すべきポイントが明確になります。
- 自社に合わせた最適な対策の提案: 企業の規模、業種、保有する情報資産の種類、予算などに合わせて、現実的かつ効果的なセキュリティ対策(システムの導入、運用方法、組織体制など)を提案してもらえます。
- 高度なインシデント対応支援: 万が一、深刻なサイバーインシデントが発生した場合、原因究明(フォレンジック)、被害範囲の特定、復旧支援、再発防止策の策定など、専門的な対応を迅速に依頼できます。これは、自社だけで行うには非常に困難な作業です。
- 従業員教育のサポート: 外部の専門家は、実践的で分かりやすいセキュリティ教育プログラムを提供できます。最新の事例や攻撃手法を交えながら、従業員の意識向上に貢献してもらえます。
【外部専門家活用の事例(類型)】
地方の食品メーカーE社は、大手取引先からセキュリティ対策の強化を求められましたが、社内にIT担当者がおらず、何から手をつけて良いか分かりませんでした。そこで、中小企業の支援に実績のあるセキュリティコンサルタントに相談。現状のセキュリティリスクを診断してもらったところ、ウェブサイトの脆弱性や従業員のセキュリティ意識の低さが課題であることが判明しました。コンサルタントの提案に基づき、ウェブサイトの改修、全従業員向けのセキュリティ研修、そしてフィッシングメール訓練を実施。これにより、取引先からの信頼を得られただけでなく、従業員のセキュリティ意識も向上し、安心して業務に取り組める環境を整備することができました。
外部専門家への相談は、決して敷居の高いものではありません。まずは自社の悩みや不安を相談してみることから始めましょう。多くの専門家は、無料相談や簡易診断を提供しています。
5-2. 費用を抑えるための有効な手段:国の支援制度や補助金活用
セキュリティ対策には一定の費用がかかるため、「予算がない」と二の足を踏んでしまう中小企業も少なくありません。しかし、サイバーインシデントが発生した場合の金銭的損失や信用の失墜といったリスクを考えれば、必要な対策への投資は、未来の損失を防ぐための「保険」であり、企業の持続的な成長のための「先行投資」と捉えるべきです。
そして、中小企業のセキュリティ対策を後押しするために、国や自治体は様々な支援制度や補助金を用意しています。これらの制度を賢く活用することで、対策費用の負担を軽減することが可能です。
活用を検討したい国の支援制度や補助金(例):
- IT導入補助金: 中小企業・小規模事業者等が自社の課題やニーズに合ったITツール(ソフトウェア、サービス等)を導入する際に活用できる補助金です。セキュリティ対策に資するITツールも対象となる場合があります。
- ものづくり補助金、事業再構築補助金など: これらの補助金も、事業計画の一環としてセキュリティ対策やITシステム導入を含む場合に、費用の一部が補助対象となる可能性があります。
- 中小企業向けセキュリティ対策支援制度: IPA(情報処理推進機構)や各地域の情報セキュリティに関する公的機関が、無料または安価なセキュリティ診断サービスや、専門家への相談窓口を提供している場合があります。
- 税制優遇措置: サイバーセキュリティ投資に係る税制優遇措置が設けられている場合があります(最新の税制改正情報を確認する必要があります)。
【支援制度活用の事例(類型)】
地方のサービス業F社は、顧客管理システムのリプレースを検討しており、同時にセキュリティ対策も強化したいと考えていました。自社の情報セキュリティ担当者に相談したところ、国のIT導入補助金を活用できる可能性があることが分かりました。補助金の要件に合うセキュリティ機能を備えた顧客管理システムを選定し、補助金を活用して導入。これにより、システムの効率化と同時に、顧客情報のセキュリティレベルを大幅に向上させることができました。
これらの支援制度や補助金は、申請期間や要件が決まっています。常に最新の情報を、中小企業庁や経済産業省、IPAのウェブサイト、あるいは地域の商工会議所などで確認することが重要です。信頼できるITベンダーやコンサルタントに相談する際に、利用可能な支援制度について情報提供してもらうことも有効です。
5-3. DX推進とセキュリティのバランス:生成AI利用におけるリスクと対策
現代ビジネスにおいて、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進は企業の競争力強化に不可欠です。クラウドサービスの活用、データ分析、モバイルワークの導入など、DXによって業務効率化や新たなビジネスチャンスが生まれています。
しかし、DX推進は同時に新たなセキュリティリスクも生み出します。例えば、クラウドサービスの適切な設定ミス、API連携の脆弱性、多くの場所からのアクセスポイント増加などが挙げられます。DXとセキュリティ対策は、常に「両輪」としてバランスを取りながら進める必要があります。「利便性を優先してセキュリティを後回しにする」という判断は、後々大きなリスクとなって跳ね返ってくる可能性があります。
特に近年、急速に普及し注目を集めているのが「生成AI」です。ChatGPTに代表される生成AIは、業務効率化や創造性向上に大きな可能性を秘めていますが、利用にあたってはセキュリティと情報管理の観点から、十分に注意が必要です。
生成AI利用における主なセキュリティリスク:
- 情報漏洩リスク: 最も懸念されるのが、従業員が機密情報、個人情報、社外秘の技術情報などを、無意識のうちに生成AIに入力してしまうことです。多くの生成AIは入力された情報を学習データとして利用する可能性があり、その情報が他のユーザーへの回答として出力されてしまうリスクがゼロではありません。
- 不正確・有害な情報の生成リスク: 生成AIが誤った情報や、差別的・攻撃的な内容、著作権を侵害する可能性のあるコンテンツを生成するリスクがあります。これをそのまま業務に使用すると、企業としての信頼性に関わります。
- 悪用リスク: 攻撃者が生成AIを悪用し、より巧妙なフィッシングメールの作成や、マルウェアコードの生成、脆弱性探索などに利用するリスクも指摘されています。
- プロンプトインジェクション攻撃: 生成AIへの指示(プロンプト)に悪意のある命令を紛れ込ませることで、AIを誤動作させたり、意図しない情報を引き出したりする攻撃手法です。
生成AI利用における対策:
- 社内ガイドラインの策定と周知: 従業員が生成AIを安全に利用するための明確なルール(入力しても良い情報の範囲、利用目的、禁止事項など)を定めたガイドラインを策定し、全従業員に周知徹底します。人事部門が主導し、必要に応じて法務部門やIT部門と連携して作成します。
- 従業員への教育: 生成AIのリスクを正しく理解し、ガイドラインを遵守するための教育を行います。特に、情報漏洩リスクについて、具体的な事例を交えて注意喚起することが重要です。
- 利用する生成AIサービスの選定: セキュリティやプライバシー保護に配慮した、エンタープライズ向けの生成AIサービスや、入力情報が学習に利用されない設定が可能なサービスなどを検討します。
- 重要情報・個人情報を含む業務での利用制限: 顧客情報や従業員情報、機密性の高い技術情報などを扱う業務では、安易に生成AIを利用しない、または利用しないことを原則とするなどのルールを設けます。
- 情報のファクトチェックの徹底: 生成AIが生成した情報を鵜呑みにせず、必ず事実確認を行うことを徹底します。
DXや生成AIは、企業の生産性向上や新たな価値創造に貢献する強力なツールとなり得ますが、セキュリティ対策を怠ると、かえって大きなリスクを招きかねません。これらの新しい技術を導入する際には、利便性や効率性だけでなく、必ずセキュリティリスク評価を同時に行い、適切な対策を講じることが、未来の企業価値を守るために不可欠な視点です。
未来への投資としてサイバーセキュリティを捉える
このセッションでは、外部専門家の活用、国の支援制度、そしてDX・生成AI時代のセキュリティ対策という、一歩進んだ、そして未来を見据えたサイバーセキュリティへの取り組みについてご紹介しました。
これらの取り組みは、単に「リスクを防ぐ」という守りのためだけでなく、「安心してDXを推進する」「新たな技術を安全に活用する」「顧客や取引先からの信頼を高め、新たなビジネスチャンスを得る」といった、企業の成長に繋がる攻めの投資でもあります。
特に、サプライチェーン全体のセキュリティが重視されるグローバルなビジネス環境においては、自社のセキュリティレベルの高さが、主要な取引先から選ばれるための重要な条件となりつつあります。
次のセッションでは、サイバーセキュリティ対策が、人事部門の主要テーマである「人的資本経営」「働き方改革」「健康経営」とどのように連携し、企業の持続的な成長に貢献するのかを、より深く掘り下げていきます。
サイバーセキュリティへの投資は、今日のコストではなく、明るい未来を創るための重要なステップです。次に続くセッションで、その繋がりを具体的に見ていきましょう。