03-4. 未来志向の人事テーマと事業承継の繋がり

前回の記事では、中小企業事業承継失敗しないための具体的な人材育成人事戦略の設計方法として、タレント発掘評価から、実践的育成プログラム組織文化の醸成、そして現社長役割までを掘り下げて解説しました。

これらの人事戦略をより強力に推進し、事業承継を単なる「代替わり」ではなく、企業が未来へ持続的に発展していくための起爆剤とするためには、現代的で「未来志向」の人事テーマを戦略的に事業承継プロセスに組み込んでいくことが重要です。

私がグローバルな視点で様々な企業と関わる中で強く感じるのは、事業承継がうまくいっている企業ほど、経営戦略と人事戦略が一体化しており、そこで「」を巡る新しい潮流をいち早く取り入れているという点です。一見、事業承継とは直接関係ないように思える人事テーマも、実は「後継者育成」や「事業継続」に深く繋がっているのです。

ここでは、特に重要な「人的資本経営」「健康経営」「働き方改革」「生成AI活用」という4つの人事テーマが、中小企業事業承継後継者不足という課題に対し、どのように貢献するのか、その具体的な繋がりを見ていきましょう。

4-1. 人的資本経営の視点で捉える事業承継

近年注目されている「人的資本経営」とは、従業員をコストではなく、企業の持続的な成長を生み出す「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すために積極的に投資し、開示していくという考え方です。これは、欧米の企業が先行しており、日本でも金融庁の開示原則改訂などを背景に、大企業を中心に浸透し始めています。

この人的資本経営の視点を持つことが、中小企業事業承継にどう繋がるのでしょうか?

  • 「人」の価値の可視化: 事業承継は、会社という資産を次世代に引き継ぐことですが、その資産の最も重要な部分が「」であると認識することです。人的資本経営の視点を取り入れることで、後継者候補のスキル、経営チームの多様性、従業員のエンゲージメントといった「」に関する要素を、単なるデータではなく、企業の将来価値を高めるための重要な指標として捉えるようになります。
  • 人材育成への戦略的投資: 人的資本は、投資によって価値を高めることができます。事業承継に向けた後継者やキーパーソンの育成は、まさに将来の収益を生み出す人的資本への戦略的な投資です。その投資額や成果(例:育成プログラム参加率、キーパーソン定着率など)を可視化し、経営判断に活用することで、より効果的な育成が可能になります。
  • 企業価値の向上: 事業承継後も企業が発展していくためには、強固な組織基盤が必要です。人的資本経営を通じて、従業員の能力開発、エンゲージメント向上、多様な人材の活躍を促進することは、企業の組織力を高め、中長期的な企業価値向上に繋がります。これは、事業承継の成功そのものを後押しするだけでなく、M&Aなどを選択肢とする場合の企業評価にも良い影響を与えうるものです。

【海外・日本のベストプラクティスからの視点】 グローバルの先進的なHRテクノロジー企業(例: Workday, SAP SuccessFactors)が提供するタレントマネジメント機能は、まさに人的資本可視化と戦略的管理を支援するものです。中小企業でも、大掛かりでなくとも、人材データの収集・分析、育成への投資可視化といった人的資本経営の考え方を取り入れることが、事業承継に向けた「人」へのアプローチを一段階引き上げることに繋がります。日本の経済産業省なども、人的資本経営に関するガイドラインを提供しており、中小企業向けのエッセンスも含まれています。

4-2. 健康経営が後継者育成・事業継続に貢献する理由(産業医、保健師も関心)

健康経営」とは、従業員健康管理を経営的な視点で捉え、戦略的に実践することです。産業医保健師の皆様にとって、これは日々の業務そのものですが、これが事業承継後継者育成とどう繋がるのでしょうか?経営者や人事担当者も、ぜひこの視点を持っていただきたいテーマです。

  • 現経営者のリスク管理: 事業承継のタイミングは、現社長の意向だけでなく、健康状態に大きく左右されることがあります。もし社長が突然倒れるようなことがあれば、事業承継は計画通りに進まず、混乱を招く可能性が高まります。健康経営の視点から、社長自身の健康管理を最優先で行い、定期的な健康診断やストレスチェック、必要に応じた産業医面談などを通じて、事業承継への準備期間を確保することが重要です。
  • 後継者・キーパーソンのコンディション維持: 次世代のリーダー候補や経営チームは、事業承継プロセスやその後の新しい経営体制下で、大きなストレスやプレッシャーにさらされる可能性があります。健康経営の取り組みとして、彼らの心身の健康をサポートする体制(相談窓口の設置、ストレスチェック後のフォロー、長時間労働の是正など)を整えることは、彼らが重要な役割を全うするための基盤となります。産業医保健師との連携が不可欠です。
  • 組織全体のレジリエンス強化: 健康経営によって、従業員全体の健康状態が向上し、活き活きと働ける組織は、離職率が低下し、生産性も向上します。これは、事業承継という変化の時期においても、組織全体のパフォーマンスを維持し、事業継続を支える強固な基盤となります。従業員健康定着してくれることは、将来のリーダー候補となる「人材プール」を維持・拡大することにも繋がります。

【海外・日本のベストプラクティスからの視点】 欧米企業では、ウェルネスプログラムやメンタルヘルスサポートが人材戦略の重要な一部として位置づけられています。日本でも、経済産業省と日本健康会議が連携して「健康経営優良法人認定制度」を推進しており、中小企業部門も設けられています。健康経営への投資は、単なる福利厚生ではなく、事業承継を含む企業の持続可能性を高めるための重要な人事戦略なのです。

4-3. 働き方改革がもたらす後継者候補の惹きつけ・定着(若い世代の吸引力)

働き方改革」は、長時間労働の是正や柔軟な働き方提供などを通じて、従業員が多様なライフスタイルと両立しながら生産性高く働ける環境を整備することです。一見、事業承継とは遠いテーマに見えるかもしれませんが、実は次世代の人材を確保し、定着させる上で極めて重要な繋がりがあります。

  • 若い世代・多様な人材の吸引力強化: 今日の若い世代は、給与や役職だけでなく、やりがい、個人の時間や価値観を尊重する働き方を重視します。リモートワークフレックスタイム、副業・兼業の容認、有給休暇取得の奨励など、柔軟で多様な働き方提供する中小企業は、そうでない企業に比べて、これらの人材にとって圧倒的に魅力的に映ります。これにより、将来のリーダー候補となりうる、優秀で多様なバックグラウンドを持つ人材採用しやすくなります。
  • キーパーソン・後継者候補の定着率向上: 働きがいのある環境、ライフワークバランスが取りやすい環境は、特に責任ある役職に就きながらも家庭との両立を図りたい人材(将来の幹部候補に多い層です)の定着に繋がります。長時間労働が常態化していたり、非効率な働き方が改善されなかったりする組織では、将来を期待される人材ほど、より良い環境を求めて流出してしまうリスクが高まります。
  • 組織文化の変革: 働き方改革を推進するプロセスは、組織内のコミュニケーションを活性化し、従業員の自律性やエンゲージメントを高めることに繋がります。このような組織文化の変革は、新しいリーダーがリーダーシップを発揮しやすく、変化に対応しやすい土壌を育てます。

【海外・日本のベストプラクティスからの視点】 柔軟な働き方やDEI(多様性、公平性、包容性)の推進は、グローバル企業ではもはや当たり前の人材戦略です。SHRMなども、多様な働き方がもたらす人材確保・育成へのメリットを強く訴えています。日本の働き方改革関連法への対応はもちろんのこと、さらに一歩進んだ柔軟な働き方提供は、中小企業後継者不足という採用定着の課題を克服するための強力な武器となります。

4-4. (発展編)生成AIは事業承継の何に使えるか?(タレント分析、育成計画サポートなど)

最後に、やや「発展編」として、最先端の技術である「生成AI」が、将来的に事業承継、特に「人」に関するプロセスにどのように貢献する可能性があるかを探ります。まだ中小企業にとって直接的な活用は限定的かもしれませんが、未来を見据える上で知っておく価値はあります。

  • タレントデータの高度な分析: 生成AIは、従業員の過去のパフォーマンスデータ、スキル情報、研修履歴、さらには社内文書などから関連情報を抽出し、後継者候補となりうる人材潜在能力や、育成のボトルネックを分析するのに役立つ可能性があります。人事担当者のタレント発掘評価作業をサポートするツールとして活用が期待されます。
  • 個別育成計画のパーソナライズ: 候補者一人ひとりの強みや弱み、学習スタイルに合わせて、最適な研修プログラムや学習リソースを生成AIが提案することで、より効率的かつ効果的な個別育成計画の策定を支援できる可能性があります。
  • 社内知識・ノウハウの形式知化支援:社長やベテラン従業員が持つ暗黙知や経験則を、インタビューや既存文書から学習し、生成AIが構造化されたドキュメントやFAQとしてまとめることで、次世代への知識伝承をスムーズにする手助けとなるかもしれません。
  • コミュニケーション文書の作成支援: 事業承継に関する社内外への告知文や、候補者へのフィードバック文案作成など、コミュニケーションの効率化に生成AIを活用できる可能性も考えられます(ただし、内容の正確性やニュアンスの確認は人間が行う必要があります)。

【海外・日本のトレンド】 生成AIを始めとするHRテクノロジーの活用は、グローバルなHRの最前線で急速に進んでいます。タレントマネジメントシステムにAIが組み込まれ、人材****評価やキャリア開発のサジェスチョンを行うといった事例が出てきています。中小企業でも、将来的には安価で使いやすい形で、これらの技術が提供される可能性があります。

ただし、生成AIはあくまでツールであり、「人」と「人」との間の信頼関係や、社長から後継者への想いの伝承といった、事業承継の本質的な部分を代替することはできません。生成AIを過信せず、その得意な部分(データ分析、情報整理など)を、人間の判断やコミュニケーションをサポートするために活用するという視点が重要です。

次なる一歩へ:実践への橋渡し

今回は、事業承継後継者不足という課題に対し、人的資本経営健康経営働き方改革生成AIといった未来志向の人事テーマがどのように繋がり、貢献するのかを見てきました。これらのテーマは、単に流行を追うものではなく、企業の事業継続発展、そして「」を活かすための強力なツールとなりうることをご理解いただけたかと思います。

これらの人事戦略や関連テーマの活用は、机上の空論に終わらせては意味がありません。重要なのは、貴社が実際に「明日から何をするか?」です。

次回の記事では、これまで見てきた人事戦略の設計や、未来志向の人事テーマの活用を踏まえ、中小企業が実際に事業承継成功させた具体的な事例に焦点を当ててご紹介します。様々な事例を知ることで、貴社が取るべき具体的なアクションや、自社での導入イメージがより明確になるはずです。

社長人事部、そして産業医保健師の皆様、事業承継という貴社の未来を左右する課題に対し、今回ご紹介したような未来志向の人事テーマを、ぜひ貴社の人事戦略に組み込むことを検討してみてください。そして、次回の成功事例を参考に、貴社ならではの実践へと繋げていきましょう。どうぞご期待ください。