03-5. 現経営者・後継者・人事担当者、それぞれの役割と心構え

中小企業事業承継は、単なる手続きや戦略の実行だけでなく、そこに関わる「人」と「人」との間の複雑なドラマでもあります。特に、現経営者である社長、次世代リーダーとなる後継者候補、そしてプロセスを推進・サポートする人事担当者の3者が、それぞれの役割を理解し、適切な「心構え」を持つことが、事業承継の成否を大きく左右します。

これまでの記事で解説した人事戦略人材育成****プログラムも、この3者がしっかりと連携し、それぞれの役割を果たすことで初めて、絵に描いた餅ではなくなります。事業承継という変化のプロセスにおいて、関係者全員が同じ方向を向き、不安や困難を乗り越えていくためには、表面的な役割分担だけでなく、内面的な「心構え」が非常に重要になるのです。

ここでは、中小企業事業承継における、この3者の役割と、成功に向けてぜひ持っていただきたい「心構え」について詳しく見ていきましょう。

5-1. 社長が担うべきこと:ビジョンの共有、権限移譲、退任準備

現経営者である社長は、事業承継プロセスにおける紛れもない中心人物です。会社を創業・成長させてきた社長にとって、そのバトンを誰かに渡すということは、人生最大の決断であり、感情的にも大きな心構えが必要となる局面です。

【社長が担うべき主な役割】

  • 事業承継の意思決定と明確な表明: いつ、誰に、どのような形で事業承継を行うか、自身のビジョンと意向を固め、関係者(特に後継者候補人事)に明確に伝えます。この「表明」が全ての始まりです。
  • 後継者候補の選定への最終的な関与: 人事がリストアップした候補者や、社内外からの推薦を踏まえ、最終的に誰を後継者として指名するかを判断します。
  • 後継者候補への指導と支援: 指名した後継者候補に対し、自身の持つ経営哲学、業界知識、人脈、そして「社長としての勘所」を惜しみなく伝えます。メンターとして、あるいは壁打ち相手として、積極的に関わります。
  • 段階的な権限移譲と責任の付与: 後継者候補が実務を通じて成長できるよう、具体的な業務やプロジェクト、さらには一定の意思決定権限を計画的に移譲していきます。最初は小さなことから始め、徐々に責任の範囲を広げます。これは社長にとって最も勇気が必要な役割です。
  • 社内外への後継者の紹介と信用構築のサポート: 役員、従業員、主要な取引先、金融機関、地域社会など、重要なステークホルダーに対して、後継者候補を正式に紹介し、彼らの役割ビジョンへの理解と協力を求めます。現社長の存在感を背景に、後継者候補が信頼を築く手助けをします。
  • 自身の退任後の計画策定: 事業承継スムーズに進めるためには、社長自身が会社から「卒業」した後の人生ビジョンを持つことが非常に重要です。新しいやりがいやコミュニティを見つける準備をすることで、「会社に居続けたい」という気持ちを乗り越えやすくなります。

【社長が持つべき心構え】

  • 「会社は自分のもの」からの脱却: 創業社長やオーナー社長の場合、会社は文字通り自身の分身です。しかし、会社の持続的な発展のためには、自身の代で終わりではない、次世代へ繋ぐ公器であるという心構えが必要です。
  • 後継者の成長を信じ、任せる勇気: 後継者候補は、当然現社長とは異なる個性や働き方、価値観を持っています。完全に同じようにできるわけではありませんし、失敗することもあるでしょう。完璧を求めず、彼らの可能性を信じ、ある程度の失敗を許容する心構えが必要です。
  • 潔くバトンを渡し、見守る姿勢: 事業承継が完了した後は、後継者のリーダーシップを尊重し、経営の意思決定に過度に口出ししない心構えが重要です。求められればアドバイスはしても、主導権は完全に譲る必要があります。
  • 感謝の気持ち: 長年支えてくれた従業員取引先、そして自身の役割を引き継いでくれる後継者に対し、感謝の気持ちを持って事業承継プロセスを進めることが、円満なバトンタッチに繋がります。

5-2. 後継者候補が持つべき資質と成長への道のり

もしあなたが中小企業後継者候補として期待されているなら、それは光栄なことであると同時に、非常に大きな責任とプレッシャーを伴うものです。求められるのは、現社長のコピーではなく、貴社と時代に合った新たなリーダーシップを発揮できる「資質」と、それを磨き上げる「成長への道のり」を歩む覚悟です。

【後継者候補が持つべき主な資質】

  • リーダーシップとビジョン: 組織をまとめ、将来に向けた明確なビジョンを描き、従業員を導く力。
  • 学習意欲と適応力: 新しい知識やスキルを継続的に学び、変化に柔軟に対応する力。
  • 問題解決能力と意思決定力: 複雑な課題に対し、情報を分析し、適切かつ迅速な判断を下す力。
  • コミュニケーション能力: 社内外の多様なステークホルダーと良好な関係を築き、自社の考えを分かりやすく伝える力。
  • 人間力と誠実さ: 従業員取引先からの信頼を得るための人格的な魅力と倫理観。

【後継者候補が歩むべき成長への道のり】

  • 多様な経験の積み重ね: 可能な限り、異なる部署や役割を経験し、会社全体のビジネスプロセスや各部門の課題を理解します。これにより、社長として全体を俯瞰する視野が養われます。
  • 「修羅場」を経験する: 困難なプロジェクトや緊急性の高い課題に対し、責任者として立ち向かう経験を積みます。失敗から学び、レジリエンス(回復力)を養うことが重要です。
  • メンターからの学びと自己成長:社長や外部メンターからのフィードバックやアドバイスを真摯に受け止め、自身の強み・弱みを理解し、計画的な自己成長に努めます。
  • 社内外のネットワーク構築: 主要な取引先、金融機関、同業他社、地域の経営者団体などに積極的に関わり、自身のネットワークを構築します。これは、事業承継後の経営を支える大きな力となります。
  • 自身のリーダーシップスタイルの確立:社長のやり方を踏襲するだけでなく、自身の個性や時代の要請に合わせて、独自のリーダーシップスタイルを確立します。働き方改革健康経営といった新しい人事テーマへの理解も、自身のカラーを出す上で重要です。

【後継者候補が持つべき心構え】

  • 過度なプレッシャーとの向き合い方: 後継者となることへの期待と不安、先代との比較など、精神的なプレッシャーは非常に大きいものです。健康経営の視点も持ちながら、自身の心身健康管理を意識し、相談できる相手を持つことが重要です。
  • 先代への敬意と自身のカラーを出すバランス: これまで会社を築いてきた現社長への敬意は不可欠ですが、同時に新しい時代に合わせた変化を起こすためには、自身のビジョン働き方人事戦略への考え方を明確にし、組織に自身のカラーを出していく勇気が必要です。
  • 「孤独」との向き合い: 経営のトップに立つと、孤独を感じる場面が多くなります。重要な意思決定を自身で行い、その責任を負う覚悟が必要です。
  • 従業員や取引先からの信頼を得る努力: 役職は引き継がれても、信頼は自分で築き上げるものです。従業員の声に耳を傾け、取引先との約束を守り、誠実な姿勢で向き合う努力が不可欠です。

5-3. 人事担当者がサポートすべきこと:育成計画の実行、社内コミュニケーション促進

中小企業における人事担当者は、事業承継プロセスにおいて、社長後継者候補、そして従業員という主要な関係者をつなぎ、全体のプロセススムーズに進めるための極めて重要な役割を担います。その役割は、もはや単なる事務手続きではありません。

【人事担当者がサポートすべき主な役割】

  • 事業承継計画における「人」に関する部分の推進: 後継者候補を含むキーパーソンのタレント発掘評価、そして個別の育成計画の策定と実行を主導します。外部研修機関やコンサルタントとの連携も行います。
  • 社長と後継者候補の橋渡し: 両者の間に立ち、コミュニケーションを促進し、権限移譲の進捗を確認したり、潜在的な摩擦を緩和したりする調整役を担います。両者が直接話しにくいことも、人事を通じて円滑に進められることがあります。
  • 全従業員への丁寧なコミュニケーション: 事業承継の意向や進捗、後継者候補の育成状況などを、従業員全体に分かりやすく、タイムリーに伝えます。従業員が抱くであろう不安や疑問に対し、誠実に向き合い、安心感を提供します。
  • 事業承継に関する情報の収集と整理: 事業承継に関連する法制度、税制、補助金などの情報を収集し、社長や後継者候補に提供します。専門家(税理士、弁護士、事業承継****コンサルタントなど)との連携窓口となることもあります。
  • 新しい組織体制への移行支援: 事業承継後の組織体制や人事制度の変更について、従業員への説明や移行手続きをサポートします。働き方や評価制度の見直しなども含まれる場合があります。
  • 健康経営の視点からのサポート: 社長後継者候補を含む経営チームの健康状態に配慮し、必要に応じて産業医や保健師への相談を促したり、ストレスケアプログラムを提案したりします。

【人事担当者が持つべき心構え】

  • 戦略的パートナーとしての意識: 事業承継を単なる経営層の出来事と捉えず、会社の未来を左右する最重要課題として、自らが積極的に関与し、推進するという心構えが必要です。社長や経営層に対し、「人」に関する戦略を提言する役割も期待されます。
  • 高いコミュニケーション能力と傾聴力: 関係者それぞれの立場や感情を理解し、丁寧にコミュニケーションを取る能力が不可欠です。特に、不安を抱える従業員の声に耳を傾け、共感する姿勢が求められます。
  • 公平性と透明性: 事業承継プロセスが、従業員全体から見て公平かつ透明性があるように配慮します。特定の個人への依怙贔屓と見られないよう、客観的な基準やプロセスを重視します。
  • 長期的な視点と推進力: 事業承継は年単位で進む長期的なプロセスです。目の前の業務だけでなく、常に数年先の事業承継の完了を見据え、計画が滞らないように関係者を促す推進力が重要です。

次なるステップへ:実践的なアクションと成功事例

今回は、中小企業事業承継における主要プレイヤー、すなわち現経営者、後継者候補人事担当者それぞれの役割心構えについて詳しく見てきました。事業承継という「人」のプロセスを成功させるためには、関係者全員が自身の役割を理解し、変化に対する適切な心構えを持つことがいかに重要であるか、ご理解いただけたかと思います。

これらの役割心構えを踏まえた上で、実際にどのようなアクションを取れば良いのでしょうか?

次回の記事では、これまでの議論を踏まえ、中小企業が実際に「明日から」取り組める事業承継のための実践的ステップに焦点を当てて解説します。そして、その次の記事では、実際に「人」に関する戦略によって事業承継成功させた中小企業事例も紹介し、貴社での具体的な導入イメージを掴んでいただくことを目指します。

社長人事部、そして後継者候補の皆様、事業承継は困難な道のりかもしれませんが、関係者全員が役割心構えを共有し、協力して進めれば、必ず道は開けます。今回の記事が、貴社にとってスムーズバトンタッチに向けた心構えを固める一助となれば幸いです。どうぞご期待ください。