中小企業の事業承継と後継者不足は、多くの企業にとって避けては通れない、そして非常に困難な課題です。これまでの記事で見てきたように、計画倒れ、コミュニケーション不足、育成のワナなど、様々な落とし穴が潜んでいます。
しかし、悲観することはありません。適切な戦略と心構え、そして「人」への丁寧な向き合い方によって、事業承継を見事に成功させ、さらなる発展への道を切り拓いている中小企業は数多く存在します。
ここでは、実際に事業承継を成功させた中小企業の事例をいくつかご紹介し、彼らがどのような課題に直面し、いかに「人」に関する戦略や、これまで解説してきた実践的ステップ、回避策を講じて成功を掴んだのかを見ていきましょう。これらの事例は、貴社が事業承継を実践する上での具体的なイメージを持つ助けとなるはずです。
(※ご紹介する事例は、公開情報に基づき、特定の中小企業名や、事業承継を契機に発展されたアトツギの方の事例を参考にしています。企業の内部的な人事戦略の詳細は非公開の場合が多いため、公開されている情報や一般的な成功パターンを基に再構成しています。)
ケース1:老舗製造業の事業再生と後継者育成
- 企業概要: 従業員約100名。地方都市にある創業80年を超える金属部品製造業。特定の取引先への依存度が高く、技術の伝承が特定の熟練従業員に属人化している課題を抱えていました。
- 直面した課題: 創業社長が健康上の問題を抱え、事業承継が急務に。親族内に明確な後継者候補がおらず、社内の人材も特定の技術分野に特化しており、経営全体を見られる人材が不足していました。旧来の組織文化が強く、新しい働き方への抵抗感もありました。
- 取り組んだ「人」の戦略:
- 早期の外部相談と現状分析: まず、地元の事業承継・引継ぎ支援センターやコンサルタントに相談し、財務・事業・組織の多角的な現状分析を実施。特に人材面の課題(属人化、リーダー不在)を明確にしました(ステップ6-1)。
- 社内タレント発掘と抜擢: 人事部(当時人事機能は総務部が兼任)が中心となり、部署横断的に若手・中堅従業員のスキルや意欲を評価。将来のビジョンを語る社長との対話会などを通じて、異分野ながら経営への関心が高い人材を後継者候補として発掘しました(ステップ3-1)。
- 実践的な育成プログラム: 指名された候補者に対し、外部経営塾への派遣に加え、社内では社長や熟練従業員からのOJT・メンタリングを計画的に実施。特に、属人化していた技術を形式知化するためのプロジェクトを任せ、全社での情報共有を促しました(ステップ3-2)。
- 組織文化・働き方改革: 後継者候補のリーダーシップのもと、リモートワークやフレックスタイムの一部導入、服装のカジュアル化など、働き方の柔軟性を高める改革に着手。硬直化した組織文化を変え、若い人材も定着しやすい環境整備を進めました(ステップ3-3、4-3)。
- 落とし穴への対応:
- 抵抗勢力への対応: 新しいやり方への抵抗を示した一部のベテラン従業員に対し、人事部と後継者候補が粘り強く対話し、改革の必要性や、彼らの持つ技術の重要性を丁寧に説明し、協力を取り付けました(ステップ7-2、7-5)。
- 社長の権限移譲: 社長は最初権限移譲に苦労しましたが、後継者候補の成長を信じ、重要な取引先への同行や一部の意思決定を任せることから始め、徐々に権限を移譲しました(ステップ5-1、7-3)。
- 結果: 計画から約5年後、後継者への事業承継が完了。属人化課題が緩和され、新しい技術導入や販路開拓が進み、特定の取引先への依存度も低下。働き方改革により新しい人材の採用にも成功し、組織が活性化しました。これは、人材という人的資本への投資が事業発展に繋がった好事例と言えます(ステップ4-1)。
ケース2:ITベンチャー創業者から従業員への事業承継
- 企業概要: 従業員約200名。ウェブサービス開発・運営を行うITベンチャー。創業者のリーダーシップで急成長しましたが、組織体制の整備や幹部育成が追いついていない課題がありました。
- 直面した課題: 創業社長が次の新規事業立ち上げに注力したいと考え、既存事業の事業承継を決意。しかし、社内に明確な後継者候補が定まっておらず、従業員承継(MBO: Management Buyoutなど)を検討するも、資金面の課題や、従業員の経営への心構えが不十分でした。
- 取り組んだ「人」の戦略:
- 人事主導の後継者候補選定プロセス: 人事部が中心となり、全従業員を対象としたタレント発掘・評価を実施。単なる業績だけでなく、リーダーシップ適性、変化への対応力、事業への情熱などを多角的に評価し、複数名の候補者をリストアップしました(ステップ3-1)。
- 経営チーム全体を対象とした育成: 後継者候補だけでなく、将来の経営チームを担いうる人材も含め、外部コンサルタントによる経営シミュレーション研修、財務****研修、組織マネジメント****研修などを集中的に実施。また、各候補者に重要なプロジェクトの責任者として実践経験を積ませました(ステップ3-2)。
- オープンなコミュニケーションとモチベーション向上: 事業承継の意向、候補者の育成状況、そして将来のビジョンについて、全従業員に対しタウンホールミーティングなどを通じてオープンにコミュニケーションを実施。従業員承継の可能性を示唆し、社員一人ひとりが会社の未来の担い手であるという意識を高めました(ステップ5-3、6-2)。
- 外部専門家との連携による資金課題解決: 従業員承継の資金調達について、税理士や金融機関と連携し、従業員持株会や借入などを組み合わせたスキームを検討・実行。人事部が従業員への説明会などをサポートしました(ステップ7-4)。
- 落とし穴への対応:
- 候補者間の競争と不安: 複数の候補者がいたため、競争意識や自身の将来への不安が生じました。人事部が個別に面談を実施し、全員が事業承継後の新しい組織における重要な役割を担うことを丁寧に説明し、不安の解消に努めました(ステップ7-2、7-5)。
- 計画実行の推進: 日々の業務に追われる中で育成計画が滞りがちになるのを防ぐため、人事部が定期的な進捗確認とリマインダーを行い、計画の推進役として機能しました(ステップ6-3、7-1)。
- 結果: 約4年後、候補者の一人を中心とした従業員チームへの事業承継が成功。単なる後継者交代ではなく、経営チーム全体の底上げが実現し、より強固な組織体制となりました。従業員のオーナーシップ意識が高まり、事業継続力と発展スピードが向上しました。これは、人事部が戦略的な役割を果たし、従業員という人的資本を最大限に活かした好事例です(ステップ2-2、4-1)。
ケース3:地域密着型サービス業における健康経営と働き方改革を活かした承継
- 企業概要: 従業員約150名。地域に根差したサービス業。現社長が地域のリーダーとしても活躍しており、社長個人への依存度が高い課題がありました。また、業界全体として高齢化と人材不足が深刻でした。
- 直面した課題: 現社長が引退を希望したが、地域社会での信頼関係が厚く、誰が後を継いでも同じようにできるか不安があった。また、若い世代の採用が難しく、将来の人材プールが枯渇するリスクがありました。
- 取り組んだ「人」の戦略:
- 健康経営の推進: 社長自身が健康経営を実践し、従業員にも健康診断受診率向上、運動習慣の促進、メンタルヘルスケアなどの取り組みを強化。これにより、社長が事業承継にじっくり取り組める時間が確保され、従業員の定着率向上にも繋がりました(ステップ4-2)。
- 働き方改革による魅力向上: ITツールの導入による業務効率化、残業時間の削減、有給休暇取得奨励、リモートワークの導入など、働き方改革を積極的に推進。これにより、地域の若い世代や、都市部からの移住者からも「働きやすそう」と注目を集め、採用力が向上しました(ステップ4-3)。
- 後継者候補への地域連携の継承: 後継者候補(社内から抜擢)に対し、単なる経営知識育成だけでなく、社長が持つ地域のキーパーソンや社会団体とのネットワークを意図的に引き継がせました。地域のイベントへの参加や役職就任をサポートし、地域での信頼構築を促しました(ステップ5-1、5-2)。
- 従業員へのビジョン共有と安心感の提供: 社長と後継者候補がペアで従業員向けの説明会や個別面談を実施。「なぜ事業承継が必要なのか」「新しいビジョン」「皆さんの雇用は守られる」というメッセージを繰り返し伝え、不安を解消しました(ステップ5-3、6-2)。
- 落とし穴への対応:
- 社長への依存脱却: 社長が持つ権限や役割を徐々に後継者候補に移譲し、取引先や地域社会に対しても「これからは彼(彼女)が中心になる」というメッセージを明確に発信しました(ステップ5-1、7-3)。
- 後継者への過度な期待とプレッシャー: 後継者候補が抱えるプレッシャーに対し、健康経営の取り組みとしてメンタルヘルスサポートを提供したり、社長や人事部が相談相手となったりして、心身の健康維持をサポートしました(ステップ4-2、5-2)。
- 結果: 健康経営と働き方改革によって企業の魅力が高まり、若い世代の採用・定着が進み、将来の人材プールが強化されました。地域社会とのネットワークもスムーズに継承され、事業承継後も地域に不可欠な存在として事業を継続・発展させています。これは、事業承継を単なる後任探しとせず、未来に必要な組織と人材を作るための総合的な人事戦略として捉えた成功事例です(ステップ2-2、4-1)。
成功事例から学ぶ、貴社の事業承継へのヒント
今回ご紹介した事例は、業界や規模は異なりますが、いずれも事業承継という大きな課題に対し、「人」に焦点を当てた戦略を着実に実践することで成功を収めています。これらの事例から、貴社の事業承継に向けた実践へのヒントをいくつか引き出すことができます。
- 早期の現状分析と計画策定: どの事例も、事業承継が喫緊の課題となった時点で、あるいはそれ以前から、自社の事業、財務、そして人材の現状分析を客観的に行い、具体的な計画を立てています。
- 「人」に関する戦略への注力: 後継者候補の発掘・評価だけでなく、実践的な育成プログラムの設計・実行、組織文化や働き方の改革といった、「人」を育て、活かすための人事戦略に積極的に取り組んでいます。
- 主要プレイヤーの役割遂行と連携: 社長の権限移譲の覚悟と実践、後継者候補の成長への努力、そして人事担当者の推進役・橋渡し役としての役割遂行が、スムーズなプロセスを支えています。
- コミュニケーションと合意形成の徹底: 関係者間の不安や対立を回避するため、オープンかつ丁寧なコミュニケーションを通じて、事業承継のビジョンやプロセスへの合意形成を図っています。
- 未来志向のテーマの活用: 健康経営や働き方改革といった人事テーマを事業承継と連携させることで、人材確保・定着力の強化や、組織のレジリエンス向上に繋げています。
- 外部専門家の適切な活用: 自社だけでは解決できない課題(財務、法務、組織・人材など)に対し、事業承継・引継ぎ支援センター、コンサルタント、税理士、金融機関といった外部専門家の知見やサポートを適切に活用しています。
貴社の未来を「人」で拓くために、最初の一歩を踏み出しましょう
今回ご紹介した事例は、事業承継が単なる手続きではなく、企業の未来を創るための「人」への投資と組織変革のプロセスであることを示しています。後継者不足という課題は、多くの中小企業に共通していますが、それを乗り越え、さらに発展していくための道は、必ず存在します。
重要なのは、「いつか誰かがやってくれるだろう」と放置するのではなく、これらの成功事例から学び、貴社の現状と課題を踏まえ、「明日から」具体的なアクションを開始することです。
まずは、社長と人事担当者の間で事業承継に関する現状分析から始め(ステップ6-1)、具体的な計画を立て(ステップ6-2)、そしてご紹介した落とし穴を回避するための対策を講じながら、粘り強く計画実行と見直しを進めていきましょう(ステップ6-3、7)。必要であれば、躊躇なく外部の専門家のサポートを得てください。
貴社の事業承継が成功し、将来にわたって発展していくことは、従業員の幸福、取引先の安心、そして地域社会の活性化に繋がります。それは、現社長、後継者、そして人事を含む全従業員にとって、最大のやりがいとなるはずです。
このブログシリーズが、貴社の事業承継という挑戦に対し、新たな視点、実践的ヒント、そして成功への確信を提供できたなら幸いです。貴社の未来を「人」の力で力強く切り拓いていくことを、心から応援しています。