08-7. まず何から始める?:中小企業経営者・人事担当者が取るべき具体的なステップ

これまでのセッションで、中小企業を取り巻くサイバーセキュリティの脅威がいかに現実的で、インシデント発生時の影響が事業の存続、信用の維持、そして働く従業員の安心・安全にまで及ぶ深刻なものであるかをご理解いただけたことと思います。そして、技術的な対策に加え、人事部門が主導する「人」への対策や、組織的な体制構築がいかに重要であるかについても、新たな気づきがあったかもしれません。

「分かった。うちの会社でも、何とかしなければならない。でも、どこから手を付けて良いか、正直分からない…」

もしかしたら、今、あなたが抱えている率直な気持ちはこれではないでしょうか。システムは複雑そうだし、専門的な用語も多い。何から手を付けて良いか分からず、結局何も始められないまま時間だけが過ぎてしまう――中小企業ではよくあるケースです。

しかし、ご安心ください。サイバーセキュリティ対策は、最初から完璧である必要はありません。大切なのは、現状を正しく理解し、できることから一歩ずつ、着実に進めていくことです。

このセッションでは、中小企業の経営者様、そして人事担当者の皆様が、サイバーセキュリティ対策への最初の一歩を踏み出すための具体的なステップを3つに分けて解説します。これにより、「何をすれば良いか分からない」という状態から抜け出し、今日からでも行動に移せる具体的な道筋が見えてくるはずです。

7-1. 現状のセキュリティリスク把握(簡易診断・アセスメント)

対策を始める前に、まず自社の「現状」を正しく理解することから始めましょう。どのような情報資産を持っていて、それがどんなリスクに晒されているのか。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という言葉の通り、自社の状況を把握することが、効果的な対策を講じるための最初のステップです。

  • ステップ①:情報資産の洗い出しと重要度の確認 あなたの会社で扱っている情報の中で、特に「失ったら困るもの」「漏洩したらまずいもの」は何でしょうか?顧客情報、従業員情報、取引情報、技術情報、経理情報など、事業継続に不可欠な情報資産をリストアップしてみましょう。そして、それらの情報が、どのコンピューター、どのサーバー、どのクラウドサービス、あるいは紙媒体としてどこに保管されているのかを確認します。人事部門は、従業員の個人情報や評価情報といった、機微な情報資産の管理状況を把握する上で中心的な役割を担えます。 実践のヒント: 情報資産の種類、保管場所、アクセス権限を持つ担当者などを簡単な表にまとめてみましょう。これにより、自社がどのような「守るべきもの」を持っているかが明確になります。
  • ステップ②:現在の対策状況の棚卸し 次に、現在、自社でどのようなセキュリティ対策を講じているかを確認します。例えば、
    • セキュリティソフトは導入しているか、最新の状態か
    • ファイアウォールは有効になっているか
    • データのバックアップは定期的に取っているか、保管場所は安全か
    • パスワードに関するルールはあるか
    • 従業員向けのセキュリティ研修や注意喚起は行っているか など、既に行っている対策を書き出してみましょう。
  • ステップ③:簡易的なリスク診断・チェックリストの活用 洗い出した情報資産と現在の対策状況を踏まえ、どのようなリスクがあるかを簡易的に診断します。「うちの情報資産は、今の対策で守りきれているだろうか?」「攻撃者から狙われる可能性は?」といった視点で考えてみます。 自社だけで判断が難しい場合は、経済産業省やIPA(情報処理推進機構)が中小企業向けに公開している無料の「セキュリティ対策チェックリスト」を活用するのが非常に有効です。設問に答えていくだけで、自社の対策レベルや不足している点、潜在的なリスクが「見える化」されます。これにより、「どこが危ないのか」が明確になり、次に取るべき行動が見えてきます。 実践のヒント: チェックリストを複数人で共有し、意見交換しながら進めると、より客観的に自社の状況を把握できます。

このリスク把握のステップは、詳細な専門的な診断である必要はありません。まずは自社の状況を「知り」、リスクがあることを「認識する」ことが、すべての対策の出発点となります。

7-2. 対策の優先順位付けとロードマップ作成

自社のセキュリティリスクが把握できたら、次に「どこから対策するか」を決めます。すべてを一度に対策するのは、多くの中小企業にとって現実的ではありません。効果的かつ継続的に対策を進めるためには、優先順位をつけ、段階的なロードマップを作成することが重要です。

  • ステップ①:リスクの重要度と発生可能性で優先順位をつける ステップ7-1で洗い出したリスクについて、「発生した場合の影響の大きさ(深刻度)」と「発生する可能性の高さ」という2つの軸で評価し、優先順位をつけます。
    • 最優先(今すぐ取り組む): 発生可能性が高く、かつ発生した場合の影響が非常に大きいリスク(例:基本的なOS更新ができていない、全くバックアップを取っていない、従業員へのフィッシング詐欺対策がゼロ)。
    • 優先度高(半年以内に取り組む): 発生可能性または影響が大きいリスク(例:セキュリティポリシーが曖昧、インシデント対応計画がない)。
    • 優先度中(1年以内に取り組む): 発生可能性や影響は中程度のリスク。
    • 優先度低(継続的に検討): 現時点ではリスクが低い、または対策に大きなコストがかかるため長期的に検討するもの。 実践のヒント: リスク項目ごとに、「影響度(大・中・小)」「発生可能性(高・中・低)」を簡単なマトリクス図にプロットしてみましょう。右上(影響度大、発生可能性高)に位置するリスクから優先的に対策します。
  • ステップ②:具体的な対策項目と担当者、期限を定める 優先順位が決まったら、それぞれのリスクに対応するための具体的な対策項目をリストアップします。そして、それぞれの対策について「誰が担当するのか(IT担当者、総務、人事など)」「いつまでに完了させるのか」という具体的な期限を設定します。 実践のヒント: 経済産業省やIPAのガイドラインには、対策項目とその実施レベルの目安が示されています。これらを参考に、自社の状況に合わせてカスタマイズし、実現可能なロードマップを作成します。例えば、短期的な目標として「全PCのOSを最新に更新する(担当:IT担当者、期限:〇ヶ月後)」、中期的な目標として「従業員向けセキュリティ教育プログラムを導入する(担当:人事部、期限:〇ヶ月後)」のように具体的に定めます。経営層は、このロードマップの承認と、必要な予算・人員の確保を決定します。人事部門は、従業員教育や体制構築に関する項目で、計画立案と実行の推進役となります。

7-3. 社内外への情報共有と啓蒙活動

サイバーセキュリティ対策は、一部の担当者だけで進めても限界があります。組織全体で共通認識を持ち、一人ひとりが意識して行動することで、初めて効果を発揮します。また、取引先や顧客への情報共有も、信用の維持・向上に繋がります。

  • ステップ①:経営層からのメッセージ発信 社長など経営トップから、全従業員に向けてサイバーセキュリティ対策の重要性についてメッセージを発信することが非常に重要です。「会社の情報資産と皆さん自身を守るために必要なこと」「全員で協力して取り組んでほしい」といった内容を、朝礼や社内報、メールなどで伝えましょう。経営層が真剣に取り組む姿勢を示すことで、従業員の意識も変わります。
  • ステップ②:社内での定期的な情報共有と啓蒙活動 策定したセキュリティポリシーやロードマップの進捗状況、最新のサイバー攻撃事例や注意喚起などを、定期的に従業員へ情報共有します。前回のセッションでご紹介した、人事部門主導のセキュリティ教育(研修、メール訓練など)や、社内ポスター、チャットツールなどを活用した継続的な啓蒙活動を行います。従業員がセキュリティに関する疑問や不安を感じた際に、気軽に相談できる窓口(人事部門が担当することも可能)を設けることも有効です。これにより、従業員は「自分事」としてセキュリティを捉え、日々の業務の中で意識するようになります。SHRMのような団体も、組織内でのセキュリティに関するオープンなコミュニケーションの重要性を提唱しています。
  • ステップ③:対外的な情報提供と連携 取引先や顧客に対し、自社のセキュリティへの取り組み状況について適切に情報提供を行います。特に、サプライチェーンの一員として取引を行っている場合は、取引先からセキュリティ対策に関する質問や要請があるかもしれません。正直かつ真摯に対応し、自社の取り組みを伝えることで、信頼関係を維持・強化できます。また、万が一インシデントが発生した場合の顧客や関係機関への連絡・報告体制を事前に準備しておき、必要に応じて迅速に実行することも重要です。これは、被害の拡大を防ぎ、信用の失墜を最小限に抑えるために不可欠です。

これらのステップは、一度行えば終わりではありません。サイバー攻撃の手法は常に進化し、ビジネス環境も変化します。定期的にこれらのステップを繰り返し、対策を見直し、継続的に改善していくことが重要です。

今日から始める、確実な一歩を踏み出そう

サイバーセキュリティ対策は、特別なことではありません。事業を継続し、大切な情報資産を守り、従業員が安心して働ける環境を整備するための、現代ビジネスにおける必須の取り組みです。

「まず何から始めるか?」――それは、「現状を知り、リスクを把握すること」です。そして、そのリスクに対して、無理のない範囲で優先順位をつけ、具体的な計画を立てることです。最後に、その計画を組織全体で共有し、皆で取り組む文化を作っていくことです。

今日、この記事を読んだことが、あなたの会社がサイバーセキュリティ対策への確実な一歩を踏み出すきっかけとなることを願っています。次の最終セッションでは、これまで見てきたすべての要素を踏まえ、未来の企業価値を守るために、私たちが今日からどのように意識を持ち、行動していくべきか、改めて力強いメッセージをお届けします。